2011/08/31

タリン

 体調も回復してきたので旅を続けます。エストニアの首都・タリンへ向かいます。ヴスからは80Km程度なので昼ごろには到着してしまいます。城壁を含む古い建築物が残る旧市街地は、歴史地区として世界遺産に登録されています。旧市街に入る道は石畳になっています。道はくねくね曲がっていていかにも城塞都市という趣があります。


 エストニアはロシアはもちろん日本よりも路上駐車にうるさそうです。駐車禁止マークの下に必ずレッカー移動しますよ、と脅しが効いた標識があります。おかげで道路が広く感じて走りやすいのですが、一時駐車して宿を探す際は気が気でなりません。旧市街地内部にあり、駐車場があるホステルを発見。おまけに屋根つきなので降ったり止んだりの雨にも影響を受けなくてすみます。


 バイクの整備をして部屋に荷物をおいて、といつもの作業を終えても14時とまだまだ観光する時間はありましたが、部屋でちょっと横になったらいつの間にか19時になっていました。やはりまだ万全じゃあないようです。今日はさっさと寝よう…と思ったら同じホステルにいたイギリス人グループと一杯飲むことになりました。まとめて払ってもらったのはいいんだけど、代金を渡そうとすると受け取ってくれません。同じ旅行者なのにおごってもらうとはかたじけない。

2011/08/30

ヴス

 目を覚ましてみると顔がちょっとほてっているようでした。うーん、どうやら風邪をひいたようです。サンクトでの寝不足や、国境前のモーテルで蚊の猛攻をうけてよく眠れなかったのが原因でしょう。ここは無理せずに連泊して今日はゆっくり休むことにしましょう。

 もう一泊しようと15ユーロを払おうとすると、5ユーロをキャッシュバックされました。15ユーロは一泊の料金で連泊するなら13ユーロでいいんだよ、とのことでした。これまたうれしい誤算です。海に散歩したりスーパーで買い物したりでのんびり過ごすのでした。午後からは雨が降り出したかと思えば30分後には晴れ間が広がるなどを3時間ごとに繰り返すという忙しい空模様でした。季節柄なのかな。

2011/08/29

エストニアに入国

■越境
 とうとうロシアともお別れです。朝からボルシチとブリュヌイを食べ、後ろ髪を引かれながらも国境へ向かいます。出国手続きは面倒なんだろうな、と思ったら以外にもすんなりいきました。エストニア側の入国手続きはパスポートチェックだけで通ることができます。ルーペを持ち出したり光を当てたり念入りにパスポートのチェックを受けます。日本国籍の陸路入国は珍しいのでしょうか。または日本パスポートの偽造が多かったりして。10分ほどしてOKをもらいます。ついにEU圏内に到着です。エストニア側では英語がほとんど通じます。これはうれしいぞ。


■ラヘマー国立公園
 手続きも終わったのでエストニア国境の街・ナルヴァを越えてラヘマー国立公園に向かいます。エストニアの首都・タリンから50Kmほど西に位置する自然が豊かで希少な生態系が残っている場所だそうです。その中のヴスという街に安宿があるようなのでそこを目指します。エストニアに入って雨が降り出し、おまけに気温もぐっと下がって15℃くらいで夏装備では寒いです。3時間ほど走って到着。

 ここヴスは「地球の歩き方」にて国立公園内にある街の中で規模が一番大きいと書かれていましたが、季節はずれの避暑地のような閑静な場所です。それでもホステルが3件ほどあり、カフェやスーパー、郵便局が営業しているので静かに過ごすには申し分ない環境です。19時ころ到着して林の中にあるホステルに宿泊します。一泊15ユーロ*なのでさほど高くはありませんが、エストニアの相場からいえば安いわけでもないようです。近くを流れる川のせせらぎに癒される快適なロケーションです。しかもwifiが使用できるというすばらしさです。ロシアではこんな片田舎でwifiが使えるところは珍しかったのでこれはうれしい誤算でした。

 到着したころは晴天だったのが23時ころになると雨が降り出してきました。海が近いせいか、天候が変わりやすいようです。せっかく海岸まで徒歩5分の好立地ですが散策はあきらめて寝ることにしました。

*連泊すれば13ユーロになりました。個室でこの値段はいいね!

2011/08/28

さよならロシア

■鍵が見つかる
 朝5時になってシャワーを浴びることにしました。ジャージにも履き替えずに日中の服装のままでした。ベルトを外すと“ジャラッ”と聞きなれた音がします。あ、鍵があった。バイクから降りると、鍵束はカラビナに通してパンツのベルトループにひっかけていました。それが何かの拍子でパンツの内側に入り込んでいたようです。メガネをあまたに乗っけたまま足元を探すかのような間抜け具合です。

■再会
 スーズダリで会ったユカさんととやま~んさんもサンクトにいるとのことで、カフェにてご一緒することになりました。今日は出発の日で13時には出発したいところでしたので、ちょっと早めにセッションしてもらいます。10時ころに広場に行くとすでに2人の姿があります。駄々こねながら遅れてすみません。

 さすが旅の達人、安くて雰囲気のいいお店をすでに押さえています。紹介してもらったのは、見て選べるタイプのカフェでした。このタイプのカフェは食べたいものに確実にありつけるのはもちろんのこと、未知の種類に挑戦できる素敵なところです。ロシアの味もあと数回しか味わうことができないでしょうから抜かりないように…あ、トムスクで食べたきりの甘いおかゆみたいなもの(Каша пенная с тыквой)があるではないですか! 見るからに甘そうなケーキ(スメタナタルト)も追加で!!
 
 鍵紛失騒動で落ち込んでいたところなので、話し相手がいて気分がとても楽になりました。トレーラー事件のときにも話し相手がいて助かった覚えがあります。この旅はつくづく人に助けられています。おふたりは今しばらくロシアを満喫し、バルト三国入りの後は南下するそうです。引き続きいい旅を!

■国境に到着
 恒例の都市部脱出です。いつの間にか有料道路に入ってしまうなど、いつものごとく右往左往してようやくエストニアのタリン行きとなるE20道の標識を見つけました。はじめはものすごく嫌っていた都市部への突入と脱出ですが、最近では楽しみのひとつに変わってきました。好みなんて意外とすんなり変わるものですね。

 当初の予定ではモスクワ方面に南下して西に向かうという40Kmほど遠回りしながらも分かりやすそうなルートを取る予定でした。それが偶然にも最短ルートのE20に乗れたので当初越境の基地と考えていた街は通過して国境の街に向かいます。宿が高そうと予想していましたが、予想通りでおもしろくありません。引き返して当初の予定通り国境から20Kmほど東に位置する街にて宿をとります。

 あまったルーブル処理のためスーパーで買い物をします。立ち寄ったカフェでボルシチを注文します。この味がこれから食べられないと思うと、とってもいとおしくなります。

2011/08/27

バイクの鍵を紛失する

■ブルーになる
 朝食をとって、さて出かけようと貴重品を確認すると大切なものがありません。あれ、バイクの鍵一式がないぞ。昨日の外出時には宿のセーフティボックスに入れていたので屋外でなくしたのではありません。宿に戻って、共同スペースの机にPCと鍵をいったん置いて、お茶を用意して…。流れを思い出してみると、お茶を用意するときにわずかの時間ながら机に放置していた気がします。他の客は見当たらなかったので気を緩めていたということもあります。念のためフロントに聞いてみると、特に落し物はないらしいです。

 1時間ほど、自分の荷物から部屋の隅々とゴミ箱をあさっても、見つかりません。眠気も観光気分も瞬時に吹き飛びました。スペアキーはあるのでバイクを動かすことはできますが、次になくしたらアウトですし、盗難だとすれば翌朝にはバイクが消えていることも考えられます。宿を移るべきか検討しましたが、そのうちひょっこり出てくるかもしれません。少々高いですが連泊することにしました。

■合鍵作成
 ひとまず合鍵を作っておかなければなりません。合鍵工房をフロントに聞いてみるとネットで調べて地図を印刷してくれました。宿から1Kmほど離れたところで、そこはバザール(アメ横と勝手にネーミング)になっていました、さあ、ここから見つけるのはなかなか骨が折れそうです。あちらこちらに警備員がいるので聞いてみると親切なことに案内してくれました。バザール入り口の隅っこに100人乗っても大丈夫そうな物置によく似た建物があり、ここで合鍵を作ってくれるそうです。たしかにロシア語で「鍵」と書いてありますが、こんなところ、初見で見つけられるものか!

 警備員が話をつけてくれ、すんなりオーダーすることができました。依頼内容はバイク本体用、サイドボックス用、ワイヤーロック用の3種類です。待つこと30分ほどで出来上がったようです。合鍵を作るのは初めてですが、こんなに早くできるものなのですね。料金は合わせて400ルーブル(1,200円)なので、日本の相場よりも若干高いくらいでしょうか。見比べてみますが、山の配置は正しいように見えます。合鍵ができたという安心感を覚えてやっと昼を食べていないことに気がつきます。スタンド式のファーストフード*で腹を満たします。

*トルコ発祥のケバブが大流行らしく、バザールのあちこちで肉の塊をくるくる回しています。ますますアメ横っぽいですね。本家と異なってこちらではキュウリとトマト、そぎ落とした肉を薄いパン生地でつつんでホットサンドにします。決定的に違うのはヨーグルトソース(スメタナ?)をかけることです。ヨーグルトソースをかける、これはトルコでは本家本元のブルサ以外では特別に注文しないとお目にかかることができません。イスタンブール以外ではヨーグルトソースを用意していない店のほうが多かったものです。

■合鍵が機能しない
 宿に戻って早速試してみると、不安的中で3種類とも回りません。ワイヤーロック用に至っては刺さりもしません。よーく観察してみると、合鍵のほうが気持ち大きいようです。戻って交渉します。若干手直ししてもらって宿に戻ってから試してみるとやはり回らない。バザール周辺は駐車禁止スペースで、歩いている最中に2台ほどレッカー移動されていました。近くまでバイクを持っていくこともできず、合鍵はまた別の機会につくることにしました。

 バザールの往復やら、盗難された可能性と今晩の対策を考えたりしているうちにすっかり17時を回ってしまいました。すっかり気が滅入ってしまい、観光をするところではありません。食事をとる気にもならず、今夜は寝ずにバイクを見張ることにします。

2011/08/26

サンクトペテルブルグ

■ニーナとお別れ
 家庭料理でもてなしてくれたニーナとも今日でさようならです。バター、チーズ、ハム、ソーセージ、ジャガイモとキノコの炒め物と目玉焼きなどなどテーブルいっぱいに朝食を用意してくれます。感激とともに遠慮なくいただきます。食後にハチミツ*とブレンドティー(セイロンとミント)をいただいていると、さらにチョコやらスティック状のお菓子やら果物やらすすめてくれます。さらにリンゴを袋いっぱいに持たせてくれて、その上わざわざジャガイモをゆでてこれも袋いっぱいに持たせてくれます。お菓子やジャムもつけてくれて申し訳なくなるほどです。別れ際にニーナはちょっと涙ぐんで送り出してくれました。言葉が通じないにもかかわらず、暖かくもてなしてくれたニーナに出会えたのは幸運でした。

*便宜上ハチミツといいましたがハチミツ特有の香りはあまりなく、代わりにミントの香りがほのかにするものです。ハチミツは苦手なのですが、これならいくらでも食べられます。ちなみに、ハチミツはお茶に溶かさずにそのままいただきます。ハチミツ、お茶と交互にいただくとあら不思議。ジャムも同様に食すのだそうな。

■ロシア最後の観光
 サンクトペテルブルグに到着。中心地に入るなり立派な建物群がお出迎えしてくれます。モスクワを含めてこれまでのロシアと雰囲気がちょっと違うぞ。ここにはいつもの通り2泊します。モスクワで宿泊したような中庭ありの宿が見つかったものの、1,600ルーブルとすこぶる高い。周辺を散策しますが同条件の宿や有人の駐車場はないようです。ケチってレッカー移動や盗難でもされたらえらいことですので思い切ってここに宿泊します。ひとまず1泊してネットで安めの宿を探すことにしました。モスクワのホステルがラッキーだっただけかもしれません。



■夕時がきれい
 サンクトは見所満載で、余すところなく見物するなら1週間は必要でしょう。初日はチェックインが16時ころだったのでニーナにいただいたゆでじゃがとリンゴ、洋ナシなどベジタリアン顔負けの夕食をとってから市内の散策に出かけます。
 市内には3本の川が流れており、あちらこちらに大小さまざまな橋がかかっています。観光客をのせた船が行き交い、夕日をうけて水面がきらきら輝いています。21時~22時ころの夕時はすばらしいです。夕時をテーマにしたポストカードが売られているのも納得です。22:30ころに宿に戻ります。翌日はショッキングなことがあったので、ほぼこれがサンクト観光なのでした。

2011/08/25

ノヴゴロド2日目

 古い教会や家屋を展示してある野外美術館を鑑賞します。今日は天気もよく絶好の行楽日和です。街の中心部からはバスで15分くらいです。なお、今回はロシアで初となるバスに乗りました。定額制で乗るたびにどこにいっても15ルーブルです。運転席は乗客が乗るスペースと遮断されています。強盗防止のためかと思ったら、運賃を管理する車掌さんは乗客と一緒に座っていました。この値段で2人も雇って収支があうのでしょうか?

2011/08/24

ノヴゴロド

■歴史の街
 中世ヨーロッパの歴史を勉強するとたまーに出てくるノヴゴロド公の本拠地。出発以前から気になっていて、道中にちょっと勉強して*ますます訪れたくなった場所です。ここでは2泊したいのでなるべく安い宿を探します。ロシアは現地での観光情報が少ないですが、ここノヴゴロドは世界遺産に登録されたこともあってか観光情報局があって観光地図や宿の予約などを行ってくれます。


そこで安めのホテルを聞き出すも2件のホテルは空き室なしでした。ロンプラにホームステイ斡旋をしていると書いてあったので聞いてみると、700ルーブルで利用可とのこと。紹介してもらった先は豆腐を横に置いたような、飾り気のない古いマンションでした。入り方がわからず、15分ほど探してやっと目的の部屋にたどり着きます。

■家庭料理を味わう
 出てきたのは落ち着いた感じのニーナという女性。キッチンを使わせてもらい、インスタントスープでも作ろうかと思ったら、それを制止して座りなさいという。するとキャベツのスープ、サラダ、ヨーグルトにパン山盛りがでてきました。まさかまた肉体労働させられるんじゃあるまいなと思いましたが、ちょうど昼時だったのでしょう彼女も食べ始めます。400mほど離れた彼女の別宅にバイクを置いて、そのまま街を散歩します。帰ってきて夕食の用意をしようとすると、やっぱり待てという。スープにサラダ、ジャガイモ料理に加えてブレンドティーと食後のデザートまでいただいて至れり尽くせり。
 宿探しやらニーナの別宅にてりんご狩りやらで遅くなったので今日は市内をぶらっと散歩するだけでした。天気もすぐれないので本格的な観光は明日に回すこととしたのでした。


*山内 進『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』
 15世紀までの現バルト三国とポーランドが舞台です。当時は非キリスト教(自然崇拝)地域だったこの地をめぐって、カトリック系のドイツ騎士修道会(チュートン騎士団)による武力を伴う布教活動――世俗的な利益を含む――が行われます。東方正教の中心地ノヴゴロド公国はカトリックよりも早い段階でこの地に布教活動を行っています。ノヴゴロド公国から見たら南東にスーズダリ公国、北からはスウェーデン、南西からはポーランドと問題を抱えるという状況です。さらに遠く極東からはモンゴルの脅威が迫ります。騎士修道会のようにローマの教皇を介して他の国から援軍(十字軍)を頼むこともできません。16世紀にモスクワ公国に追い抜かれますが、それまではロシアといえばノヴゴロド公国を指しているようです。日本でいえば奈良みたいなものでしょうか。モンゴルには100Km付近まで進軍されましたが、モンゴルは急に南下したため破壊から逃れることができたそうです。WW2で戦闘地域になったかはわかりませんが、雰囲気では影響はあまりなさそうです。

2011/08/23

ノヴゴロド南方50Km

■モスクワ脱出と買い物
 混雑が予想されたのと、ウファで主要道路が見つからずに苦労したことがあったので朝7時ころと若干早めに宿を出発します。思いのほか簡単にサンクトペテルブルグへの道=M10にのることができました。2泊滞在とほかの旅行者に比べると短めですが、すごく久しぶりにバイクに乗ったような気がします。観光もいいけど、次の見知らぬ土地を目指す道のりがやっぱり楽しいものです。

 立ち寄ったスーパーの2階に大き目のカーショップがあったので物色をします。お、4サイクル用のオイルがありますね。4種類くらいありましたが、STくんに適合するのはモチュールのスクーター向けのものだけでした。嬉しいことに注意書きに日本語表記があります。なになに…「この製品は日本向けに作られていないので日本国内ではクレーム対象となりません。」(全文)

 英語の注意書きには「キャブでもFIでも使えるよ。タフなコンディションに耐えうる高性能オイルで…略」などと4行にわたって詳しく書いてあります。でかでかとJASO MAと日本基準を書いているくせに日本語表記はすごく適当というか、投げやりというか。そろそろ走行距離が3,000Kmに近づいてきたので、そのあたりはあまり気にせずに3L(@350ルーブル)購入します。

■3度目のオイル交換
 オイル交換のため18時ころにモーテルに入ります。2人部屋の相部屋で600ルーブルと決して安くはありませんが、1件目に立ち寄ったところは1室利用で1,500ルーブルでした。これくらいが相場なのでしょう。

 腰を落ち着けるとチェーンの注油、タイヤの空気圧調整、壊れたミラーの調整などメンテナンスをします。あとはオイル交換のため、モーテルとなりのカーショップ兼修理場でバットを借ります。今回は自分で交換します。オイルを抜くためのネジが固着してしまい苦戦していると、それを見かねたのかロシア人が潤滑油を貸してくれます。ハラショー! オイルを引き取ってもらって交換終了です。次に交換するのはロシアを出てからになるでしょう。

2011/08/22

モスクワ到着

 宿が高い!道が混雑!治安悪そう! そんなことから一時は通過しようかとも思ったモスクワに到着です。スーズダリのホステルで会ったとやま~んさんとユカさんはリーズナブルな値段で宿をとっているようでしたのでちょっと安心。ロンプラの情報で宿を探すと、中庭がある静かなロケーションの宿が見つかりました。さすがに道路沿いにバイクを停めておくのは盗難やいたずらが怖いので、静かな中庭は外せないです。

 2日目は観光です。クレムリンや赤の広場など有名どころを歩いて、国立博物館に立ち寄ります。古代から中世の資料が豊富です。大航海時代の展示も力が入っていますが、英語の表記がないの上にこの時代のロシアの海外政策についてまったく無知なものですから正直にいって、すごさがよくわかりません。帰国したら勉強してみましょう。

2011/08/20

スーズダリ

■ゴールデンリングの一角
 モスクワの西方には小さな、それでいて古い歴史を持つ街がいくつかあります。それらを総称してゴールデンリングと呼ぶそうです。そのひとつが今回立ち寄ったスーズダリです。とても静かで心が穏やかになるような街で、のんびり過ごすのが好きな人にはお勧めしたい場所です。街を南北に貫くレーニン通りに沿って教会が立ち並んでいます。街の西側に目を向けると、透き通った水をたたえた川が音もなく流れています。

 午前中は教会をさらっと見物して、あとは裏道を覗いてみたりして過ごします。昼時にはハチミツを発酵させた酒*を2杯ほどいただきます。うーん、悪酔いしそうな甘さです。赤玉ワインのような甘さといえばいいのでしょうか。すきっ腹に酒を入れたこと、久しぶりの飲酒でちょっと陽気になっていたのでしょう、川で釣りをしてから2時間ほど昼寝です。うーん、この穏やかな街は気に入ったぞ。

*5度、7度、9度からアルコール度数が選べます。ノンアルコールもあり。僕が試したのは7度です。



■日本人に出会う
 宿で日本から旅行をしている方々に出会いました。ロシアを旅している日本人に会う機会は少なく、最後に会ったのはバイカル湖以来です。話をしてみたらバイカル湖で会った車で旅をしていた人と行動を共にしていたそうです。うーん、縁とは面白いものです。今はパッカーに変身してロシアをめぐっているといいます。出国から2ヶ月くらいたっているそうなのでロシア旅の大先輩です。

2011/08/19

ペアランをする

■イタリア人登場
カザンからモスクワの間にはニジニ・ノブゴロド、ウラジーミルと大きな街が2つあります。それらは通過して周辺の小さな街を散策することにしました。なので今日はウラジーミル手前で宿をとることにします。

 カザンを出発して1時間ほど走ったところでイタリア人ライダーと出会いました。話を聞いてみたら彼も都市部は通過してモスクワに向かうそうです。「一緒に行かないかい」と誘われたのでペアランをしてみることにしました。2人だと宿代も割安になるので願ったりといいたいところでした。他の人の運転は性格が出て、見ていて面白いものです。後ろから車が幅寄せしてきても譲らず、抜かされたら2本の指を突き出して何か言っています。幅寄せされようものなら車をグーの手で殴り返しています。なかなか強情で怒りっぽいです。

■ペア解消
 ペアランをするにあたって遅くとも21時には宿をとることで合意をしていましたので、20時ころから宿を探します。1件目はひとり750ルーブルとモーテルにしてはやや高めです。2件目は600ルーブルで、やはりやや高いながらもバストイレ付きで内装も綺麗なので妥当なところでしょう。

 「このホテルはどうだい?」と聞かれたので「気に入ったよ」と答えます。ところが彼は嫌そうです。「若干高くないかい?だって600ルーブルで、駐車場代が100ルーブルだから、700ルーブル。つまり××ユーロということだろう?」しょうがないので次をあたります。1,500、1,400、1,800と続き雲行きが怪しくなってきました。

 5件目から出てきたころにはすでに22時を回っており、月がきれいに輝いています。23時ころにはいつの間にかウラジーミル市内に到着。このころには彼はこちらの存在を無視したかのような行動をとり始めていました。ロンプラ情報では最低でもひとり700ルーブルはかかります。「市街地のホテルは高い。郊外、たとえばスーズダリなどで宿を探したほうがいいのではないか」そう提案するもほとんど反応せずに走り去ります。

 よろしい、ならばさよならだ。ペアは自然解消することになりました。ガソリンスタンドで給油をして、ここから20Km離れたスーズダリを目指すことにします。給油後に飲んだ甘いコーヒーはとてもおいしかった。ひとりって気楽でいいなぁ!

■夜空の鑑賞会を検討する
 ウラジーミル市内を出ると、とたんに道路は真っ暗になりました。5Km毎にカフェがありますし、交通量も多めで人の気配はするのですが、何もないところは月明かりだけが頼りです。バイクの様子がいつもと違うなと思ったら、スピードメーターのバックライトが消えていました。速度はエンジンの様子でおおよそわかるので問題はありませんが、なんとなく落ち着きません。

 ふと夜空を見上げると北斗七星がくっきりと見えて、月明かりに照らされた雲が揺らいでいます。気温は9℃、湿度も低く絶好の夜空観察日和です。仕事を切り上げて夜空観察をするために甲府まで行った記憶がよみがえります。宿がなくたって夜空観察をしていればいいじゃない!

 ひとまずスーズダリまで向かい、適当な観察ポイントとあわよくば宿を探します。スーズダリ市内に入ると街頭の光はなく、月明かりに教会が照らされて神秘的な雰囲気をかもし出します。明かりが見えたのでそちらを見やると、教会の前で人の大きさほどもある炎が揺らめいています。現代から中世に迷い込んでしまった、そんな気分でした。

■ロシア人にまたまた助けられる
 現在地を確認しようとしばし観察しようと駐車しようとすると、誰かが近づいてきました。ロシア人の青年で、何か困っているのかと聞いてきます。夜1時を過ぎたころなのではじめは身構えましたが、家族と一緒のようなので一安心。高くないホテルを探しているんだ、と告げると彼はバイクを持ち出してきました。彼の家族が付いていきなさい、というのでひとまず後を追います。案内してくれたのは事前にチェックしておいた安めの宿です。

 宿の人をたたき起こし、僕を引き渡すと颯爽と去っていきました。うーん、ロシア人に助けられっぱなしだ。彼らの献身さはどこからくるのでしょうか。夜空の観察は後の機会に譲ることとし、今日はひとまず寝ることにするのでした。

故障・行方不明リスト

これまでに故障した箇所をひとまとめ。それと、ウォーリーのごとく旅先で落としたり忘れたりしたものの備忘録です。

■故障・破損箇所
・ブレーキレバー     立ちゴケで先っぽが折れる。
・グリップエンド     立ちゴケとともにどこかへ行ってしまった。
・フレーム        トレーラーに踏まれた際にゆがんでしまう。
・ボックスキャリア     右側、左側ともにひずみが発生。溶接部が折れる。
・ボックス        右側の箱がへこむ。気分も。
・ミラー(右)      ミラーの付け根から折れる。ガムテープで応急処理。
・プラグ         故障はしていないが交換。20,000Kmもがんばってくれた。
・トリップメータ     下一桁が9から0で回らない。
・メーターバックライト     バックライトがつかない。夜は見えない!

■なくしもの
・携帯灰皿(無印)     北海道のどこかにいるはず。
・タバコケース      100均で買ったブリキ缶。”There is a will , there is a way”など旅によさそうな文言が入ったお気に入り。ビロビジャンあたりで暮らしていると思う。
・ミニノート       クレジットカードの連絡先やバイクパーツの型番、筆談の跡が詰まった大切なもの。チュメンで落としたらしい。
・携帯灰皿(二代目)     M51のどこかで風に吹かれているだろう。
・ターボライター     オマケのライター。M51で朽ちていくのか。

カザン

■カザン到着
カザンといえばオスマントルコのイェニチェリ。なんだか名前からしてイスラムっぽいぞ。関係あるのかなと思ったらやっぱり鍋を意味する「カザン」にその由来があるとか*。そしてこの街にはクレムリンがあります。遠目には防壁のように見えましたが、クレムリンというのは「城塞」を意味するのだそうな。クレムリンから放射状に道が伸びているのは軍事的な意味合いからでしょうか。クラスノヤルスクなど縦横にきれいに区切られた街とは雰囲気が異なります。

 同じクレムリン内部に建つモスクと教会が共存していていいですねー。偶像崇拝を禁じるイスラムならではの草の文様をあしらった壁画。対する東方正教の教会はそんなのお構いなしにイコンやら聖人画やらで壁を埋め尽くします。いやー、ちゃんとした観光はトムスク以来でウキウキ気分です。

*英語の資料しかないのでこれが精一杯。もっと英語の勉強をしておけばよかった。

2011/08/17

カザン東方100Km

■ミラー破損、バイクが調子悪くなる
宿を出発する際に転倒してミラーが破損してしまいました。ミラーのスペアは持っていません…。しかも悪いことに、一度はかかっていたエンジンが始動しなくなってしまいました。キックスタータも歯車がかみ合っていないかのように手ごたえがいつもと違います。オイルの漏れやガソリンの漏れもなく目立った外傷はないようです。

 はっきりいってお手上げ状態です。すがる思いでプラグを交換してみます。うーん、やっぱり始動しない。セルスタータをいやというほど回してスロットルを回してみたら何とか始動しました。それでもアイドル状態にするとエンジンは止まってしまう。もう一度試してみたら今度は頼りない音ながらもストップすることはありません。

 ようやく安定したのは1時間ほど走らせた後でした。ちょっと変化があって、ローギヤードでのパワーが足りなく、高速域では振動が弱くなったというかマイルドになったというか。よくよく考えてみたら、交換前のプラグはNGKのイリジウムプラグ、交換したのはNGKのノーマルプラグです。ひょっとして変わったのはこれが原因なのでは!?

2011/08/16

ウファを通過

■ウファ
チェルヤビンスクからウファまで約400Kmほどですので、8時間もあれば着いてしまいます。M51はウファで終わり、M7に乗り換えます。このM7でモスクワまで一直線です。標識に「MOSCOW」の文字が出てくるといよいよロシアも残りわずかになってきます。とはいえ、残りわずかなのは距離だけで、ここからは観光スポットが盛りだくさんなので走る、寝る、のサイクルから抜け出せるのでわくわくします。
 ということで、ウファはただ通過するだけです。さようならウファ…といいたいところでしたがまたまた市内で迷います。うーん、M7へのアクセスがわからないよう。ここはいったん市内を抜け出して別の道を探しましょう。

■M7でモスクワへ
 サマーラ行きのM5にのって西方に行き、そこから北上してM7に乗り換え。1時間ほど走って何とかM7合流に成功。やったー! 喜びもつかの間、今度は宿が見つかりません。2時間ほどモスクワに向かいようやく宿を発見。内装がきれいでひとりドミトリーで450ルーブルととってもナイスな宿でした。
 ロシアは10時ころにようやく日が沈むようなところです。たそがれ時が日本より長く、一日の締めくくりにほっと一息を付ける大切な時間です。平原にポツリと佇むこの宿の夕時はとてもすばらしいものでした。

2011/08/15

チェルヤビンスク

■エカテリンブルグを通過
朝10時ころにエカテリンブルクに到着、市内にちょっと立ち寄ります。近代的でモダンな雰囲気に包まれた小奇麗な街でした。さすがに2時間ちょっとでは魅力を味わうには足りませんが、雰囲気だけは感じて次の都市を目指すのでした。



■チャルヤビンスク
この街には観光というよりは休養とネット接続のために立ち寄りました。市内のど真ん中にあるホテルは旧ソ連式とでもいいましょうか、なかなか味のあるホテルです。800ルーブルの一番安い部屋ですが、バルコニーと洗面台だけは付いています。薄い赤のレースと、こちらも赤いカーテンが付いていて、調度品がアンティーク品のようで面白いです。Wifiが無料で使えるのはうれしい誤算です。
 日中は走るだけ走って、早めに宿をとって夜は寝る。パターンが出来上がってきましたが、もうひとつアクセントがほしいなぁ。

2011/08/14

エカテリンブルグ東方50Km

■2度目のオイル交換
チュメンでオイルを探すがなかなか見つからない。あきらめてエカテリンブルグに向かうことにする。道すがらの街でカーショップがあったのでダメ元で聞いてみたところ、近くの店で扱っているらしい。親切にも案内してくれた先にはバイク用のオイルは3種類を取り揃えていました。以前交換したものと同じものはなく、メーカー指定のオイル10W-40(MA)と適合するものは1Lしかないという。だが、2L在庫があるのは5W-40(MB)のみ。前回交換してから4,000Km走っていることも考えてちょっと迷いましたが交換することにしました。

 このショップのおじさんは「俺はメカニックだ! この表示はアメリカの基準で君が持っているカストロールオイルと同じ種類でな…(省略)」と大真面目な顔で解説してくれます。「そしてこのMBという表記はメルセデスベンツという意味だ!」と聞いた瞬間にとっても胡散臭くなりました。おじさんの中ではJASOとは、そしてMAとは何を意味するのでしょうか。

 かくいう僕もバイクについてそれほど詳しいわけでもないので、神妙な顔つきで2Lを買い求めます。満足したのか作業用の軍手をプレゼントしてくれました。このショップを案内してくれたカーショップでオイル交換をお願いします。ところがこれが間違いでした。ここのメカニックはなんとも頼りないものです。レンチをオイルの中に落としたり(廃油受けがとっても汚い)、ドレンボルトを指摘するまで外さなかったり、挙句の果てには外さなくてもいいボルトを勝手に外してオイルをこぼしたり…。オイルをふき取ることもせず、実に危なっかしいことこの上ありません。次回からは目を離さないよう気をつけねばなりません。オイルの種類が心配なので次は早めに、ちゃんとしたところで交換することとしましょう。

2011/08/13

チュメン南方100Km

ゆっくり寝て充電完了、9:00に出発します。土曜日だというのに道はトラックであふれています。道すがらのカフェやGS、売店は24時間を謳ったものをよく見かけます。ロシア人は働き者なのでしょうか。昼ごろに到着したイシムにある道端のカフェで食事をしながら今後のルートを考えます。

 当初の予定ではここから国境線に沿うように西南に進んでクルガンまで行き、そこからチェルヤビンスクを目指す予定でした。ただ昨日の迷子と悪路のことが脳裏をよぎったので、北に迂回することにしました。迂回路には大きな都市のチュメン、エカテリンブルグ*という名前を聞いただけでも寄り道したくなる街があります。
 カフェの駐車場でサンクトペテルブルグから来たというおじさんと話していたら、チュメンには車の整備工場がたくさんあるというので、バイクのオイルも見つかるかもしれません。

 ということで北に向かって出発。今日は17時ころに宿をとってゆっくりするのでした。たまっていた洗濯物もここでジャブジャブ洗います。このあたりは鉄分が豊富なのでしょうか、昨日のモーテルといいこの宿といい、水道の水が錆びくさいです。シベリアでは白濁した水でした。ロシアの水道水は煮沸しようが何しようがのめるような代物ではありません。

*マヨネーズの消費量が世界一ということでギネスに登録された都市だそうな。

2011/08/12

危うく国境を越える

■ルースキーバイカー*
トムスクを出発してノヴォシビルスク、オムスクを目指します。バイカル湖から西側ではライダーとすれ違う機会が増えてきました。今日はアフリカツインに乗ったロシア人ライダーと立ち話です。「これからモンゴルに向かうんだ。それと僕は神父なんだ。きみ、アレクサンダーを知ってるかい?」などなど難しそうな話になってきたところでもう一台バイクが通りかかり、近くに停車して話に加わります。そうこうするうちに一台、また一台と重装備のバイクが集まってきます。

 STくんを見て「何年前のバイクなの?」と聞いてきたのはエカテリンブルグでバイク雑誌を作っているという女性ライダー。なんでも来春発行の雑誌に僕のことを掲載してくれるそうな。やったー、雑誌デビューだ!

*ライダーのことをロシアではバイカーと呼ぶそうです。ちなみにロシア語でバイクのことはモトチクルといいます。

■カザフスタン国境
オムスクに到着して、次の目標となる都市はチェルヤビンスクです。標識に「チェルヤビンスク 1000Km」と出ているのでそれに従って走ります。モーテルもガソリンスタンドもない、のどかな景色が広がります。オムスクまではトラックの追い抜きに悩まされていましたが、後続もすれ違う車もいなくなって快適でした。そして3時間後、やっとスタンドがありました。うーん、主要都市を結ぶ道のはずなのに極東並みのさびしさです。

給油して走り始めると前方に停車している車の列が300mほど続いているのが見えました。踏み切りかと思い停車していると、前方から車がすれ違います。そのフロントガラスには(KZ)の国籍シールが貼られています。停車している車を観察してみると(RUS)や(KZ)など国境越えをする車両に必須のシールがもれなく貼られています。地図をよーく確認してみると、たしかにこの道はチェルヤビンスクに向かう道です。ただし、「中東の北朝鮮」といわれているカザフスタンを経由してでした。

■120Kmの悪路
この時点で18時、160Km東に位置するオムスクまで引き返すにしても3時間はかかります。おまけにその道すがらは何もないときています。地図をきちんと確認していなかったことを後悔しつつ、幹線道路までショートカットできないか画策します。北に120Kmほど走ればロシア内でオムスクとチェルヤビンスクを結ぶ道に出られそうです。暗くなる22時までには4時間もあるので楽勝、かと思われました。

 ところがここはロシアです。幹線道路だってところどころダートが残り、街中でさえ穴ぼこだらけの悪路だったりダートだったりする国だということをすっかり忘れていました。北に向かって走り始めて10Kmほどでダートが始まり、その後30Kmほど続くのでした。大きい街がひとつありましたが、そこからさらに北に40Km向かえば幹線道路に出られます。ここからの40Kmは舗装こそされているものの、アスファルトが盛り上がり尖っていたり、ひどいときは深さ20cmくらい穴があったりする穴だらけの道でした。

 転倒やパンクでもしようものなら最悪の事態です。あえて休憩をとってみたり、半ばヤケになって「夕日がきれいだなー」と鑑賞してみたりして心のゆとりを持つように自分自身にいい聞かせます。ようやく幹線道路に出たのが21:30くらいで、出てすぐのところにモーテルがあったのでこれ幸いと飛び込みました。ふぅ、今日はなんだかいろいろな出来事があった濃い一日でした。

2011/08/10

トムスクに寄り道

■寄り道
12時間ほどぐっすり寝て体調も回復。今日はトムスクを目指します。トムスクは沿線から120Kmほど離れていますが、ロンプラさんイチオシの場所なのでちょっと寄り道です。また、次の通過点のノヴォシビルスクは旅行者にとってまったく魅力のない場所なのでスルーします。トムスクで食料品などを買い込み、できることならオイルの交換も済ませたいところです。

■初の連泊
昨日の体調不良のこともあり、トムスクで連泊します。都合のいいことに、この宿はwifiがフリーで使えます。しかも1泊900ルーブルで個室、朝食付きなんてこれまでのなかで抜群のコストパフォーマンスの良さです。隣はスタジアムなのでサッカー好きにはたまらないことでしょう。
古い家が立ち並んでいて楽しませてくれます。

2011/08/08

クラスノヤルスク西方250Km

■ダウンする
クラスノヤルスクを出発、お昼ご飯をたらふく食べた後に強烈な睡魔が襲ってきました。昨日ちょっと夜更かしをしたのと連日の疲れが効いてきたのかもしれません。1時間ほどすると睡魔というより頭がぼんやりしてくる感じに変化します。むむ、これは単なる寝不足とは違うぞ。標識を見落としそうになるほどだったので今日は250Kmほど走ってモーテルに宿泊です。

2011/08/07

クラスノヤルスク

やっとクラスノヤルスクに到着。M53では大きい街で、人口91万人都市です。道路区画が縦横にきれいに走っている、歴史的な新しさと計画性を感じるところです。チタやウラン・ウデよりも人口は多いのですが、駅周辺以外は小奇麗ですっきりした雰囲気をかもします。今日は500Kmほど走り距離を稼ぎました。

 ATM、郵便局、ネットカフェと都市部に用事があったので今日はここで一休み。ホテルのロビーでwifiが使えそうでしたが、試してみたら以前購入したカードでは使用できず。ホテルの兄さんがwifiフリーのカフェを案内してくれました。腹も減っていたし渡りに舟とばかり飛び込みます。ネットが使えるっていいね!

2011/08/06

カンスク東南360Km

■ダート出現
不運の一日が明けて、今日は今日とて走ります。出発してから120KmほどでTulinに到着。ここの街を抜けようとしたら、いきなりダートが現れました。7Kmほどで終わったので一時的な工事かと思ったら、その後30Kmほど続きました。そういえばメリケンライダーが「カンスクまで悪い道が続くよ」といっていましたが、これのことだったのでしょう。距離が伸びず、16時ころに見つけたモーテルに宿泊します。そろそろ洗濯物がたまってきたこと、今朝起きたらちょっと熱がある感じでしたので無理せず今日は読書タイムです。

 ここのモーテルにてロシア人旅行者に会いました。マツダのワンボックスでウラジオストクから欧州を旅行しているそうで、今は帰り道とのこと。毎年大陸間旅行をしているらしく、窓に地図が書いてあります。ふむ、かっこいいねぇ。




■ボルシチについてのたまう
今日は昨日の夜から三食ボルシチを食べています。とりあえずどこにもあるし、確実に野菜が入っており、なによりもうまいのです。また8月だというのにロシアは寒いので身体を温めるのにも一役買います。混雑していて店員にメニューをあれこれ相談する余裕がない場合もありますし、相談などもってのほかといわんばかりの愛想のない店員だったとしてもひとまずは丸く収まります。

 ボルシチの写真を見ると、白いものが必ず添えられています。その正体はスメタナと呼ばれるサワークリームであると聞いていましたが、必ずしもそうではないらしい。とろとろのヨーグルトみたいなところもあり、ほのかにマヨネーズの味がするものの正体不明だったり、マヨネーズ以外の何者でもなかったりと、特に決まったルールはなさそうです。

 味も画一とは無縁のようです。今日の昼に食べたボルシチは酢が入っていたのでしょうか、酸味が利いています。はじめは面食らいましたが、食欲増進効果があって自然とパンに手が伸びます。大方のボルシチに酸味はないので、すっぱいのが苦手な方でも大丈夫です。こうしてみると、ボルシチは家庭の味、といったところなのでしょうか。他の客のテーブルを覗いてみるとボルシチの姿を見かけることは意外と少ないです。

 ボルシチが食べたくなった人は神保町に「ろしあ亭」というロシアンスキーな店があるのでランチにでも立ち寄ってはいかがでしょうか。

2011/08/05

アクシデント!

■トレーラーに踏まれる
イルクーツクから出発し、ノヴォシビルスクに向かう。分岐点を間違えてまたまた道に迷う。来た道を戻るすがら不幸は舞い降りた。道に2cmほど泥が撒き散らされていたのだ。道はある程度混雑していて、前後の車の流れに乗って走っていたがそれでも60Kmくらいだったろう。減速も間に合わず、泥にフロントタイヤをとられて転倒してしまった。そして後続にはトレーラーが控えていた。転倒の直後、僕は車道から離れた場所に着地したが、バイクは車道に残されたまま。やはり泥のために急制動ができないのであろう、トレーラーはSTくんのリア側を前輪で踏みつけて、止まった。

 僕は何か叫んだのかもしれないが、その瞬間のことは断片的にしか覚えていない。傾いたトレーラーの姿と泥のにおい、空には太陽がなかった。旅はここまでなのだろうか。バイクを起こして車道から脇に寄せる。トレーラーのドライバーは起こすのを手伝った跡、すぐに走り去っていった。

 調べてみると右側のアルミボックスはステーと接する場所が窪んでいた。ステーはゆがみ、溶接した部分が折れていた。リアタイヤを支えるフレームも変形している。エンジンは問題なく始動し、マフラーも無事らしい。乗り出してみるとバランスが変だ。まっすぐ走っているはずなのに、ハンドルがわずかながら右に傾いている。フロントにもダメージがあるのだろうか。それでも走るのに支障はなさそうだった。

 不幸中の幸い、などとつぶやかないとやっていられない状況だった。後続車が玉突き事故を起こしていたらどうなっていたかわからない。トレーラーが僕を吹き飛ばすような事態も考えられた。もし、道に迷っていなければ。そもそも今日8時に出発しないでゆっくりしていればよかったのだ。仮にナビを装備していれば。仮定の接続詞をありったけ考えていたが、それもせんなきこと。旅はまだ続けられる――その事実だけを胸に走り出すのだった。

■スペイン人ライダーに助けられる
 事故から10分後、旅ライダーに会いました。かれはスペインはカタルーニャ地方から来たそうな。「今日の朝、イルクーツクにいたよね!?」そんなことより聞いてくれよ、さっき事故ったんだぜ! 雨の日のように落ち込んでいたので、事故について話してみます。彼には迷惑だったかもしれないが、聞いてくれてとても心が晴れた。ものすごく勝手ながら、ついでに迷ったことを告げます。

「あは、実は僕も迷っているんだよ。でもノヴォシビルスクへの分岐点ならわかるよ。あ、君が持っている地図、僕も持っているけどひどい代物だよね。」紙の地図頼りの者同士、ちょっと会話に花を咲かせるのでした。
彼には精神的にすごく助けられました。ひどく落ち込んだときは誰かに話を聞いてもらえるだけでとっても楽になります。


■夜通し走ることを決意
 分岐点まで案内してくれたおかげで無事にノヴォシビルスクへの道M53に乗れました。ここまでくれば大丈夫です。彼と話してだいぶ落ち着きましたが、それでもやっぱり気分はよくないものです。半ばやけになって走り続けます。小雨が降りしきり、18時になっても宿が見つからず、カフェの食事ものどを通りません。

 雨が降る中のキャンプはなるべく避けたいです。それに、バイカル湖で出会ったロシア人ライダーが、イルクーツクとカンスク間は治安がよくないのでキャンプは危ないといっていたのを思い出します。今日は夜通し走るか…。覚悟を決めて走り出します。今日はたぶん最低な日になるだろうと思いながら2時間ほど走ると、道路沿いに数件のホテルがありました。転がり込んだのはいうまでもありません。

2011/08/04

イルクーツク

■日本人と旅ライダー
バイカル湖を見下ろす場所でみやげ物店を冷やかしていると、一眼レフを持ってバイクを覗き込んでいる人がいました。ロシア人らしからぬいでたちに、近寄ってみたらなんと日本人女性でした。ワゴン車で一人旅をしているそうです。久しぶりに日本人に会ってほっとしました。同じ場所でBMWに乗ったロシア人ライダーにも遭遇。おおー、英語が通じるぞ。なんでもモスクワとウラジオストック間を往復するそうです。はは、なんてクールなやつだ。

 イルクーツク目指して走る間に路上で休憩していると、今度はハーレーに乗ったアメリカ人が声をかけてきました。荷物が走っている、というほど目いっぱいに荷物をくくりつけています。他の人の荷物の積み方は見ていて面白いです。使い捨て対戦車ミサイルのようなものが両脇についていてかっこいい。彼はロシア横断は3回目だそうです。はは、クレイジーなやつめ!


■宿探しに3時間
 イルクーツクには12時に着きました。メリケンライダーに教えてもらった宿を探しますが、まったく見つかりません。この街は一方通行が多く、もと来た道に戻るのも容易ではありません。宿の住所を教えてもらっていましたが、ナビも詳細な地図*もないので苦労します。やっとこさ見つけたのが16時。
 ロシアのポストカードがほしかったので散策がてら書店まで。ほほー、村上春樹コーナーがあるではありませんか。そのほかキリスト教関係コーナー、世界地図コーナーがあり、日本ではニッチなところがとても充実しています。行きも帰りも迷いに迷って2時間ほど歩くことになりました。はぁ、今日はたいしたことをしていないのにとても疲れた。

*市街地はロンプラの地図しかもっていません。詳細な地図がほしいです。

2011/08/03

バイカル湖

世界一深い湖にして世界遺産の指定を受けるバイカル湖に到着。地図で見ると四国はもとより九州くらい平気で飲み込みそうなほど大きい、バナナみたいな形をした途方もない代物です。南岸に到着してから2時間ほど走ってもまだ南岸を走っている、そんなスケールです。

 適当に選んだ宿はバンガロー風の2階建てで、バストイレがついた快適な室内です。おまけにここの料理は、日本で食べてきたものを含めて、これまでにないおいしさ。注文してから1時間ほどで出てきた品々*はもう筆舌にしがたいほどです。料理人は23歳のアルトゥール。ロシアはものすごい底力を秘めています。
 PCでブログの原稿を書き溜めていると、アルトゥールがやってきます。どうやら彼の名前を日本語表記で知りたいそうです。ひらがな、カタカナ、当て字の漢字で教えてあげると自分の腕を指差して何かいっています。あ、まさか彫り物**にするんじゃあるまいな。「阿流透」「亜留徹」「某通」などとそんなの***彫られた日には申し訳ないので必死に止めましたが、そこまで通じたのかそれはわかりません。


*おい、どうやったらジャガイモがこんなにもちもちした食感になるんだい? サラダはにんじんとキャベツとあと何かを千切りしてオイルベースのソースで混ぜてある。塩気がやや強いけど、口の中でりんごの香りがほのかに漂う。これも絶品だぞ。
**ロシアでは男女問わず彫り物している人が多い。
***フロントガラスに漢字のステッカーを貼り付けている車とまれに出会う。「守護天使」「天下」「無敵」などなど。日本企業の払い下げトラック(西濃運輸と佐川急便のトラックとの遭遇率が高い)がそのまま使われていたりするので、漢字は結構人気があるのだろうか。漢字のペイントをバックにした、ロシアンポップのミュージッククリップも見かける。

2011/08/02

ウラン・ウデ

■バイクのメンテナンス
その名の響きから工業が盛んだろうと勝手に決め付けていたウラン・ウデに到着。最後にSTくんのオイルを交換してから5,000Kmも走ってしまいました。修理工場はたくさんあるだろうという適当な理由からこの街に立ち寄ってみました。オイルが交換できそうな場所はと…おお、いたるところに車修理ができそうなところがあるではありませんか。
 こじんまりとした修理工場に立ち寄り、オイルがほしい旨を伝えるとバイク用のオイルはないとのこと。オイルさえ手に入れば交換してやるよ、ということで用品店を教えてもらいました。教えてもらった場所は車部品が主でしたが、Castrol 10-40W 4cycle X-tra(@340ルーブル)がありました。3本(3L)ほしかったのですが、あいにく2本しかありません。交換できるだけで良しとします。ふとショーケースの横を見ると同じくCastrolのチェーンクリーナーもあるではありませんか! シールチェーンもいけそうなのでついでに購入します。いやー、うはうはですな。

 用品店を教えてくれた工場に行って交換してもらいました。工賃を聞いたところ、1,000ルーブルだという。自分でも交換できますが、用品店を教えてくれた感謝をこめて彼らにお願いします。アジア系の顔立ちをしたメカニックのお兄さんがささっと交換してくれました。ウラン・ウデはモンゴルと列車でつながる都市せいか、白人の割合がぐっと少なくなります。交換がすんで支払いになると、100ルーブルでいいという。いくらなんでも安すぎ! ついでにチェーン掃除のためにウエスを買おうとしたら「もってけ」と気前がいい。うーむ、ロシア人には世話になりっぱなしだ。

■宿泊できた!
市街地に入る前にいくつか宿があったので、駐車場がありそうなところにあたってみました。14時で、さすがにまだ酒は入っていないだろうし、忙しくなさそうな良きころあいです。受付にはアフロのおばさんとキーマスターのクールおばさんが座っていた。こんにちはー、1人だけど部屋あいてますかー?
アフロ「あいよ、パスポートみせなさい。…おい、昨日はどこに泊まった!?」
2連泊でキャンプであること、これまでに泊まった宿のレシートとレジストの紙を見せます。アフロおばさんはあちらこちらに電話をかけています。クールおばさんは僕を泊められるように何かアイデアを出しているようでした。
 40分ほど待ったでしょうか。クールおばさんがささやきました。「ハラショー」 なんとか処理してくれました。やったー、これでシャワーが浴びられる! 明日以降の宿を心配しなくてもいいぞ。今日はすべてがうまくいくすばらしい一日です。

■食事についてのたまう
宿に併設されたカフェもいい感じです。これまでのカフェで他の客が食べているのを横目に見ていながらなかなか注文できなかった、ロシア風クレープを食べられました。塩気のきいた生地を練乳のようなソースにつけて食べます。もう最高。
 これまで食べたサラダといえばマヨネーズ風で、見た目は白です。ここのサラダは見た目が黒いオイルベースのソースです。胡椒がピリリときいていて、これもおいしい。

■ホテルの下働きをする
部屋で洗濯をしていたらドアをノックする音がします。他に客はいないようなのであまり用心せずにドアを開けると、アフロおばさんが手招きしています。何かと思えば、食事をしていました。どうやら食べろといっているようです。いただいてばかりでは悪いので、お礼代わりに日本の写真を見せてあげます。が、そんなことはしなくともよかったのです。
 食べ終わるとアフロおばさんがおもむろに立ち上がります。「さあ、こっちにきて、テレビを運んで頂戴な。」何の因果か、3台のテレビと1組のベッドを運ぶ出すはめになったのでした。
「食べたぶんは身体で払ってもらうよ」
きっとそういうことなのでしょう。

2011/08/01

ウラン・ウデ東方100Km

■シベリアは寒かった
ふてくされながら過ごした夜が明けて朝の5時、えらい寒さで目が覚めました。どれどれ外気は…9℃だと! テントのフライシートが冷たい風になびいてぱたぱたと音をたてます。前日の日中は25℃と過ごしやすく、キャンプ日和かと思っていたのですがさすがにシベリアは甘くありません。キャンプしたところは草原の丘の上、密集した草の陰にテントを張っていました。草の塊から外に出ると、そこには美しい光景が広がっていました。見渡す限りの草原、広大な空は深い青をたたえています。陽が昇る方向はオレンジと青をミックスしたような表情で幻想的です。やー、キャンプしてよかった! 秋の空と旅人の心はこうにも変わりやすいものです。

■西へ向かう
悪い印象しか残らなかったチタを後に、1,000Kmほど西に位置するイルクーツクを目指します。イルクーツクに行くまでには世界に名だたるバイカル湖が控えていらっしゃる。行き先に観光スポットがあると長い道のりも楽しくなるというものです。
 チタから西は400kmほど草原地帯が続き、次いで50Kmほど高低差がある森林地帯を走ります。路上で休憩しているとなにやら地響きがします。ふと音の先を見ると、道路脇の丘を馬の群れが走っています。すごい迫力! こんなの相手に槍一本で立ち向かったパイク兵はものすごい根性です。
田舎の宿でなんとかごまかしてレジストレーションができないものか考えましたが、いい具合に宿がみつかりません。そんなこんなで時間は17時。今日もキャンプに決定ですね。

■キャンプについて
森の間をまっすぐに伸びる幹線道路から森の中へ入っていきます。誰にも見つかることのないよう1Kmほど走って場所を確保。行けども車の轍があるのでどことなく心配ですが、これ以上進んでも迷ったり凶悪な生き物に出会ったりでそれはそれで怖い要素があるのでほどほどにします。ついでに分岐点に倒木を積み重ねてキャンプしている場所までうかつに来られないように用心します。
 万一見つかった場合のことを考え、すぐに撤収できるようにテントはまだ展開しません。暗くなり始めるまで2時間ほど様子をみます。この間は食事とコーヒーのお時間です。木の葉がすれる音がしたのでびっくりして音がした方向に目をやると…シマリスがこちらの5mほどの場所まで走ってきた音でした。せわしげに木の実をかじる様子はなんともいぢめたくなるのでぃす。
 22時ころからやっと暗くなり始めるのでテントの設営です。蚊とそのほかよくわからない虫たちから逃げるようにテントの中に転がり込みます。いやー、快適。この段階では外気20℃くらいですが、明け方の寒さ対策*にやや厚着をして眠るのでした。

*翌朝の外気は5℃でした。