2011/07/31

チタで初キャンプ

■チタなんて2度と来るものか!
やっとチタに到着です。ハバロフスクから2,200Kmほどの道でした。モスクワまであと7,000Kmだ! 今後は長距離ダートも燃料切れも気にせずにすみます。チタは東シベリアの主要都市のひとつで、やはり宿屋めぐりをすることになったのでした。が、前日のモーテルでレジストレーションしなかったせいか、どの宿屋も泊めてくれません。ホテルとの交渉が思うように進まず、とぼとぼ戻るとバイクのシートにビールをぶちまけた跡が残っていました。シートに焼きそばをぶっかけられたことがある方を知っていますが、今はその方の怒り具合とやるせない思いが手に取るようにわかります。

■キャンプ決行
21時を過ぎ、都市内の宿は見つからずにまずいことになってきました。こうなったらレジストレーションに甘い道沿いのモーテルで交渉するか、キャンプするか考えながら東に向かって走り始めました。こういうときに程よいモーテルがないときています。薄暗くなってきたので道から3Kmほど離れたところでキャンプをすることとなりました。なんだかすごく惨めな気分です。もしかしたら初回レジストレーションの写しをもらい損ねたことが原因か…。以前と制度が変わっていて、写しがなくても問題ないと聞いていたのですが。ああ、ロシアのシステムがわからなくなってきました。

2011/07/30

雨の高原越え

ロシアに入って初めて雨の中を走ることになりました。手元の高度計では800mとありますので、沿岸部より7℃は低いことになります。山間を走り、高度が上がるにつれて雨脚が強まり、雲の中を走り抜けるような状況でした。寒さもひどくなってきたので、14時ころにモーテルに宿泊。山間部のここら辺では水は貴重らしく、シャワーも水道も水道ではなく汲み置きのタンク式のものでした。もちろんお湯も出ないので、風邪を引かないように暖かい格好で睡眠導入のため読書*をしながら寝たのでした。

*『イリアス』を選択したのが失敗。睡眠導入どころか面白くて夜遅くまで読みふけってしまいました。ヘロドトスといい、松平さんの翻訳はまことにすばらしい。

2011/07/29

ウルシャ

■ウルシャに到着
相変わらずチタへの道は続きます。気温は20℃くらいで夏本番にしては涼しく、夏装備では少々寒いくらいです。途中カフェ*に立ち寄り、時々ロシア人と立ち話をするほかは景色を眺めながらひた走ります。14時くらいから宿を探しながら走りますが、幹線沿いのモーテルはあいにく満室。450Km は走ったでしょうか、探しているうちにウルシャまで着いてしまいました。ウルシャはそれほど大きくない街で、なんとも不景気な雰囲気が漂っています。ホテルがないかそのあたりの人に聞くと「この街にホテルはないよ」と仰せになる。目元が怪しく、酔っ払っているようでした。まだ6時なのにこいつらときたら…。

■子供に注意
素面のおじいさんに聞くとどうやら宿はあるらしい。探していると少年たちが近づいてきて、宿まで案内してくれました。ホテルというよりもアパートのようなところで、看板すらありません。宿泊はできそうなので腰を落ち着けようとすると、先ほどの少年2人が「案内料をよこせ」としつこくねだってきます。このところロシア人たちの親切っぷりに助けられてきたのですが、ビジネスの関係を要求されたことは初めてでした。ウルシャに宿泊するひとは子供にご注意を。

*日本でいうところの定食屋。ロシアでレストランというと、白いテーブルクロスを敷いた高級店を指します。カフェより下のグレードもあります。

2011/07/28

シマノヴォスク

■シベリアの眺め
次なる目標のチタまでは1,600Kmの道のりです。STくんの足では一日に400Kmがいいところなので、あと4日はかかることでしょう。それだけの時間なので景色が単調だったらどうしよう、と不安でしたがアムール道路はさほど飽きることがありません。遠くに山脈の稜線が見えるかと思えば、湿地が広がるすがすがしい場所に出くわすこともあります。日本では決して見ることのかなわない地平線がここにはあります。

■シマノヴォスク宿泊
 シマノヴォスクは工業で栄えた街だそうですが、地図を見てなんとなく宿がありそうだったので今日は早めに宿を探します。ここの宿は750ルーブル。地方都市はえらく安いです。ここで日本人一行と遭遇。シベリア抑留のため大陸で亡くなった方々の遺骨を発掘しているそうです。彼らの存在は知っていましたが、実際に会うのは初めてです。すごく立派なことです。なんだか申し訳ないくらいです。彼らの通訳さん:「あ、宇宙センターがこの街に移設されたからそれを見に来たんですね!」
いやー、本当にすみません。

2011/07/27

アムール道路

■アムール道路
ハバロフスクとチタをつなぐアムール道路。この道路でひたすら西進する日が始まりました。立ち寄りたい場所が特にあるわけではないので、宿を探しがてらに街中をぶらぶらする程度になるでしょう。ハバロフスクから220Kmにビロビジャンがあり、ここがハバロフスク以西では大規模な街です。しばらくこのような整った街とは会えなことでしょうから、現金だけはここでしっかり確保しておきます。
ビロビジャンに到着したのが12:00で宿をとるには若干早すぎます。天気も崩れそうにないので今日は距離を延ばしにかかります。150Kmほど走ったでしょうか、前方に土煙が見えてきます。「低くよどむ土煙は歩兵が、高く舞う土煙は戦車が立てている」などと孫子がおっしゃっていました。そんなことはどうでもよくて土煙があがるということはダートの存在を示しています。孫子の兵法もバイクの旅ではまったくあてになりません。ダートは10Kmほどのものでしたが、そろそろ宿に泊まりたいと思っていたのであまり歓迎したくない状況です。

■アルハラ宿泊
地図を見て大きそうな街の標識が出てきたら宿を探すことに決め、到着したのがアルハラという小さな街でした。シベリア鉄道の駅があるのでそれなりに発展しているかと思えばがっかりする規模です。午後6時* を回ったころにようやく宿を発見。あのー、街中なのに道が舗装されていないのですが…。店もみんなお休みしていますよ…。ネガティブな思いはぐっとこらえてチェックインです。
「いくらですかー? え、660!? ハラショー!」
アルハラはすばらしい街です。
チェーンルブをぬりぬりして今日は店じまいです。ダートを走ったせいか、チェーンが汚れ放題です。チェーンクリーナーを持ってくればよかった。

*シベリアでは9時過ぎまで明るいです。シベリア時間の6時は日本の4時くらいのものと考えていいと思います。明るいうちから酔っ払いが出没するのにはまいります。

2011/07/26

宿屋めぐりのハバロフスク

 ハバロフスクはアムール川沿いにあり、極東ロシアのなかで最も大きな都市です。スーツ姿の男性をよく見かけたので、ビジネス街としてもそれなりなのでしょう。リドガの宿から200Km、3時間とちょっとで着いてしまったので市内観光をする時間は十分にある、はずでした。宿を確保して、洗濯してから出かけようと思い宿を訪ねたところ「部屋はない」とつれない返事が返ってきました。次の宿も「ニェット」、中心地から離れた宿も「ニェット」。嗚呼、これが噂の宿屋めぐりか。5件目でようやく宿がとれました。今日利用するツーリストホテルはいたって標準的なビジネスホテルなのに2,600ルーブル*とこれまでにない高さ。タバコ1箱が30ルーブル、カフェでフルコースを食べても400ルーブルとロシアの物価は安めなのに、どうして宿がこうも高いのか。宿探しで疲れてしまったので、今日はもう引きこもることに。

*朝食込み。ちなみに1ルーブル≒3.1円。文句いっておきながら、エアコンとバストイレに加えてバルコニーが付いた素敵な宿です。Wifi使用可。

2011/07/25

過酷な333Km

■ワニノからリドガの333Km
 ユーラシア大陸に上陸して最初の山場がやってきました。ワニノからリドガまでダート(未舗装路)が145Km続きます。ダートは山梨から秩父を結ぶ三国峠を走ったことがあるだけで、STくん(僕も)が耐えられるか心配でなりませんでした。空気圧をチェックし、荷物が外れないかチェックを丹念に行います。もしものために水と食料をワニノで補給し、ダートに入る前にはお手製サンドイッチとスニッカーズで腹を満たします。
 立ちゴケしてブレーキレバーが折れたり、トラックが舞い上げる砂埃でカメラがおしゃかになったり、暑さで頭をやられたり…。ワニノを出発してから8時間後、ようやくリドガのガソリンスタンドに到着しました。STくんがんばった! 穴ぼこだらけの道でウィリーまがいのことをさせ、延々エンジンを回し続けてもへこたれません。

 マガジン(コンビニみたいなもの)でスプライト*を一気飲みしてリフレッシュ。大変だったなー、とぼんやりしていたらトラックの修理をしていたロシア人が近寄ってきました。話してみると、前にも日本人に会ったそうです。なんでもその日本人はロシアを抜けてトルクメニスタンに行くといっていたそうな。おや、前にもホルムスクのオレグから似たようなことを聞きましたね。宿泊できる場所を聞き出して、握手して分かれました。道路で会うロシア人はみんな親切にしてくれて感謝の極みです。

*ロシアのスプライトは柑橘の香りがしておいしい。そしてしっかり砂糖を使っている。日本のように甘さ控えめとかカロリーゼロとかそんな軟弱な飲み物じゃないのだ。

■ダート区間
オンA   ~ダートA   105Km
ダートA  ~オンB    120Km
  ※終盤に3Kmほどのオンあり
オンB   ~ダートB   20Km
ダートB  ~オンC    25Km
オンC   ~リドガGS   63Km

・オンAはワニノ起点
・GSはオンAの80Kmにあります。立ち寄ってみたら在庫切れでしたのであてにしないほうがいいです。
・ダートAは砂利道、土と石が混じった道、土が多めの凸凹が激しい道、など多種のダートが待ちうけます。凸凹がいたるところにあるので非常に走りにくいです。また、木造の橋が20箇所以上あり、道と橋の隙間が窪んでいるのでスピードを出しているとえらいことになります。(前輪が跳ね上がってウィリー状態になる。ダート上級者ならなんともないのでしょうが、念のため)
・ダートBは凸凹こそ少ないものの土と石が混じった道が多く、こちらも非常に走りにくいものです。ダート(A)が終わった!とつかの間の喜びを与えた後に待っている悪魔のようなヤツです。

■宿泊先
 リドガからハバロフスク方向へ10Km走ると右側にホテルがあります。レストランと売店が併設されているのでひとまず休みたいときにはいいと思います。部屋はエアコンがないので暑いです。ありがたいことに扇風機を貸してくれますが、正面に風が出てこないという意味不明な設計なので気休め程度の代物です。1,200ルーブル。

2011/07/24

ユーラシア大陸上陸

■ワニノに到着
 20時に出航して翌日の8時にワニノに到着しました。同室だったおじさんが入港手続きを教えてくれたおかげですんなり港から出られました。うーん、前評判と違ってずいぶん親切な人が多いぞ。
 ワニノはウラジオストックに次ぐ極東ロシアの港だそうですが、街中はさっぱりしたものです。必要にして十分、といったところでしょうか。都市部のような喧騒はなく、のんびりと時間が流れているようです。暮れなずむ海と港の風景はよいものです。明日は最初の難関ルート、リドガまでの360Kmが待っているのでさっさと寝るのでした。

■Hotel Vanino
 港のすぐそばにあるワニノホテルに宿泊。ここは部屋が広くきれいでとても快適です。お湯がいつでも出るのはありがたい。んでもってwifiが使えます*。併設してあるカフェで食事ができます。適当に頼んだ(ピクルスらしきものとなにかの野菜をミックスし、ヨーグルトソースをかけたもの)はとっても美味。このカフェを切り盛りしている旦那さんは英語ができます。気さくな人でロシア語がさっぱりな僕にもわかるようにメニューの説明をしてくれます。ここに宿泊する人はカフェに立ち寄ると幸せになれるかも。

*別途プリペイドカードを購入する必要がありますが、電波さえ拾えれば他の都市でも使えます。150分のカードが200ルーブル。ネットカフェのように時間を気にすることもないのでとっても便利。

2011/07/23

ホルムスクでフェリーを予約

 サハリンの南西に位置する港町のホルムスク。ここから大陸側のワニノへフェリーで渡ります。フェリーを利用するのは徒歩旅行者でも難儀するという、ひとつめの難関ポイントです。フェリー乗り場があったので聞いてみると、どうやらここでは扱っていない模様。DarTransServiseという代理店が処理してくれるそうなのでそちらに向かいます。車両の入港場所の目の前にありますが、キリル文字しか書いてないのも手伝ってわかりにくいところにあります。(参考までに動画をアップします。Hotel Khormskを背に左手の角を海側に進んでください。角にはマガジンがあります。)



 手続きには待ち時間を含めて2時間ほどかかりました。パスポート、車両の登録証書が必要です。書類にサインして、3,200ルーブル(人間含む)を渡して終了でした。16時ころにまたここに来いという。時間をもてあましたのでスーパーへ買出しに行って公園でまったり読書でもしてみましょ。

 なんだか飽きたので街中を撮影しようと走り出したら、地元のライダーと遭遇。ホンダ・アフリカツインに乗る彼は、バイカル湖へ片道7日ほどで行ったことがあるというナイスガイです。ルートを聞こうと思って地図を見せたら、なんとバイカル湖への詳細な地図をくれました。ガソリンスタンドの情報はもちろん、街間の距離もしっかり書いてあってすばらしいプレゼントです。あ、リドガまでの道が書いてある! ハラショー、スパシーパ!!
「前にも日本人に会ったよ。彼はロシアからウクライナを抜けていくと言っていたよ。日本人ライダーはクレイジー、じゃなくてとてもクールだね」 ホルムスクの絶景ポイントまで教えてもらい、その後は花束を買うんだといってクールに去っていきました。Thank you Oleg! :D

 地図が手に入ると急に次の世界が開けてきたような感じがします。RPGみたいで冒険心をくすぐる展開に出会って、旅の楽しさをしばし味わうのでした。が、フェリーに乗るまでにさらに5時間くらいの待ちぼうけを食らわせられることになるとはこの時点では思いもしなかったのでした。

2011/07/22

すっ飛ばしてホムルスク

今日はユジノサハリンスクで両替とレジストレーションをする予定でした。が、思いの外早くユジノについてしまい、両替をした時点で午前10時。
ホルムスクはユジノから西に40Kmほどですが、道は南に大きく迂回しています。とはいえ3時間もみれば十分な距離です。正規のホテルもあるとロンプラさんがいうのでささっとホルムスクに行くことにしました。そこがだめだとしてもユジノまで帰ってくる時間は十分にあります。

サハリンの道ですが、主要道路はきちんと舗装されています。とはいえ、ところどころ大きな穴が開いているのでやはり注意は必要です。信号はほとんどないので快適に走れます。すれ違う車の9割は日本車ですので、北海道を走っているような気分です。

途中道に迷いましたが、3時間ほどでホルムスクに到着です。「Hotel Kholmsk」にさっさと宿を取り、ワニノまでのフェリー情報を集めます。レジストレーションもばっちりで、ここまでは順調です。

・・・ビスが取れる

国際ナンバープレートに換装した際のボルト止めが甘かったせいで、片側のボルトがどこかへ飛んでいってしまいました。
パラコードで固定しましたが、ワニノからのダートではちょっと厳しいかも。要検討ですね。

2011/07/21

コルサコフに到着

ついに出国の日がやってきました。バイクの税関手続きは日通にお願いしてあったので、自分でやることは特にありません。サイドボックスやらバッグやらが装備されたままだと税関が通らないよ、というのですべてはずします。預けられる荷物は2個までで、以降はひとつあたり3,000円かかるようです。ボストンバッグとタンクバッグ、メットは客室内に持ち込みます。いっぺんに運んだからこれがえらく重い…。

一番安い部屋だったので、席は雑魚寝スタイルです。客は25人ほどしかいなかったようなので、広々と使用できました。嬉しいことにお弁当付です。まさか幕の内弁当がここで食べられるとは!(コルサコフ→稚内の場合は洋食スタイルの弁当が振舞われるそうです。)

ほかに日本人の姿は見当たらず、ロシア人ばっかりでした。中には日本語ができる方もいてちょっと会話をしました。彼ら曰く「ロシア人はキケンだよ」「ドロボーさんがたくさん」「一人かよ!やれやれ」「ケーサツには気をつけろ」「道路を走るときはクマに注意だ。ヤツらは意外と早いぞ。うん、60Km/hくらいかな」
うーん、不安になる材料ばかりだ。脅かそうとしているのか、本当なのかは見当がつかない。
僕の体験した中では、会ったばかりの旅行者に対して自国を悪くいうことはなかった。その反対に、あの国は…と芳しくない顔をすることはあったけれども。もしかしたらサハリン在住の彼らにとって、大陸側のロシアは別の国なのかもしれない。

そうこうするうちにコルサコフに到着。
「バイクの通関審査がありますので船内で待ってください。」船員に告げられて待つこと5分。屈強の二文字が似合うロシア人がどやどやと3人ほど入ってきました。彼らの間でなにやら相談して僕の処置が決まったようです。
「バスに乗れ。バイクは後だ。」
ロシア側の手続きには決まった順序がなく、担当者の気分次第である。そう聞いていたのだが、まったくその通りでした。これにはHFのスタッフも困っているようでした。
おとなしくバスに乗ってイミグレーションです。預けてあったサイドボックスをカートに乗せようとすると、手招きする人がいます。彼女がロシア側の通関手続きの代行をするインフロート社の人でした。パスポートとビザのチェックは簡素で、一言もしゃべらずにパスできます。一方で、バイクの方はロシア語ができないとクリアできそうにもありません。インフロート社の人が税関担当者と言葉を交わしながら自動車保険に加入する書類、一時輸入申請書らしき書類などを作成していきます。最後に5,6枚の書類にサインをして終了。バイクのところに行くと、放射線チェックをしていました。そうだ、こいつがまだ残っていた! ちょうどチェックが終わったらしく、エンジンナンバーの場所を聞かれます。ささっとチェックして「congratulations!」とうれしい言葉を賜りました。いやー、これでひとまずサハリン上陸は果たせました。エンジンをかけて走り出そうとすると、HFの方からストップがかかります。
「タイヤの洗浄があるはずだから、ちょっと待ってください。・・・あれー、いつもは洗浄があるんだけどな。今日はやらないみたいなので行っていいですよ。」
6時(帰宅時間?)にも近づいていたので、省けるところは省いてしまうのでしょうか。この適当な処遇をうけると外国に来たな、としみじみ思うのでした。

今日の宿はコルサコフ唯一のホテル「ALFA」に泊まる予定でした。IFの方にホテルはないか聞いたところ、目の前のぼろっちい建物がそうだという。いくらか知ってるか聞いたところ、わざわざ聞きに行ってくれました。ロシア人はサービスがいいのか悪いのか…。ちょうど通りかかった日本人がいたので彼とシェアすることにしました。1,500ルーブルを折半して750ルーブルで宿泊。中身は悪くありません。ボルシチとパン、ジュースが振舞われたのはありがたいです。

ここは正規の宿ではないようなのでレジストレーションは明日改めて申請しましょう。

2011/07/19

ちょっとしたトラブル

北海道上陸後から出国まで1週間ほど時間をとっていました。むふふ、ライダーの聖地とも言われる北海道にせっかく来たのだから楽しまなくては。札幌、富良野、網走に宿泊して、やってきました稚内。
出国は明後日なのでここでゆっくりすることとしましょう。

それにしても北海道はいいですねぇ。適当な国道を走っていればなんとなく目的地についてしまう。道路も広いし、信号もなくスムースに走れるし。スケールでかいぞ北海道。

ここまでは順調でしたが、興部あたりからトラブル。
メットのシールド部分のネジがいつの間にやら無くなってました。下手すると走行中にシールドが飛んでいってしまいます。さあ困りました。
バイクショップがありそうな旭川までの距離は…往復380Km!
時によってはスケールのでかさも困りものです。

ネットで調べてみたら稚内にレッドバロンがありました。
明日いってみましょう。

2011/07/15

旅立ち~北海道上陸

旅立ちの日、それはいつだって特別なものだと思う。

家族に見送られつつ、クールに走り出そうとした。
セルスイッチを押せば、エンジンはトコトコとなりだし…
あれれ!? セルが回らない?
回るとか回らんとかそういうのではなく、うんともすんとも言わないという形容がお似合い。
キックでもつかないし。
プラグがおかしいかな、と思って外してみる。
うーん、悪いのかどうかわからん。

CROWSさんのお世話になることを決意してプラグを戻し、
だめもとでセルをまわしてみたらエンジンは何事もなかったように動き始めた。

旅立ちの日。トラブルで始まるとは思いやられる。

・・・

まずは北海道へ上陸すべくフェリーで苫小牧を目指します。

大洗から「さんふらわあ号」に乗り込みます。
大洗発が後6.30で、苫小牧着が翌後13.30と約20時間のゆっくりした船旅です。

船上のカップめんがこんなにうまかったとは。
満月が照らす水面がきれいなことといったら。
そして船の揺れることったら、そりゃもう。

いろいろ初体験をして北海道上陸です。
出国の21日まで観光と最後の準備で過ごすことでしょう。

2011/07/06

トップボックス取り付け

試験走行中にしっくり来なかった上の荷物の積み方を改良。

コンテナをビス止めしただけです。
以前のつみ方(荷物の上にバックパック直乗せ)に比べて安定性と利便性、容量がアップすることでしょう。

…格好は二の次ということで。


中身はこんな感じです。
・ガソリン3L
・ガソリン1L
・サンダル

アクシデントでガソリンをぶちまけてしまっても、バッグにかかるなど被害は最小限になるはず!

2011/07/05

国際免許ゲットだぜ

国際免許が手に入りました。
筆記も技術もなく、15分ほどで発給されます。
免許を持っていれば誰でも取得できますので
ネタにおひとついかがでしょうか!?

ビザ、免許証、国際ナンバーと準備が整ってくると
わくわくしてきますなー。

2011/07/04

ロシアビザの取得完了

やっとビザが発給されました!

実は、ビザというものを取得するのは初めてです。
へぇ~、パスポートに直接貼り付けてでてくるんだねぇ。
ぺらぺらの紙切れのようなものをを想像していたものだから
しっかりしたつくりになってて得した気分でした。

ビザが発給されたのでさっさとロシア大使館に別れを告げます。

ロシア大使館に面する道路は警備体制が敷かれています。
なので、KC庁から来た方の視線を浴びつつ出入りをしなくてはなりません。
(やましいことはないけど、なんか意識してしまう。)
宅配便の中の人が荷物チェックを受けてるなー、と遠巻きに見てたら
昼食の出前もチェックを受けていたのはちょっと面白かった。

中崎タツヤ氏の漫画で「弁当箱は凶器になる」というしょうもないくだりがあった。
まさか、ねぇ。(気になる人は『じみへん』を読むべし!)

さて、明日こそ国際免許をとるぞー。