2011/11/28

11月29日帰国

バイクの輸送も済ませて後は単身日本に帰国します。
4ヶ月ほどの旅もここでおしまいです。

2011/10/06

星の降る丘

 なかなか寝付けなかったのにもかかわらず、6時に起床して7時には出発していました。朝日に輝くカテドラルこそ至高、と勝手に決め付けていたため夜明け前の道を走ります。なかなか太陽が出てこないので、時間調整のためにバルに寄ってコーヒーをいただきます。走り始めてちょっとすると霧雨の模様になってきました。あちゃー、到着日が悪天候なんてしまりが悪すぎる! ちょうど日の出の時刻となる8時ころに最後の山越えをしてサンティアゴ市内を一望する丘「喜びの丘」に到着です。むむ、ガスってしまってカテドラルがまったく見えません。がっかりの丘を後にしてカテドラルのあるサンティアゴ市内に入ります。

 カテドラルのある広場まで石畳の路地を走っていると、これまでのことが思い出されます。ロシアトレーラー事件やグリーンカードで困ったこと、いろんな人に助けられたことなどなど。さすがにぐっとくるものがあります。細い道を右へ左へ曲がって広場に出ると、2つの尖塔をもつカテドラルが現れました。仏アミアンのノートルダム大聖堂のほうが規模が大きく華やかです。モスクワのワシリーのように個性的でもありません。それでもサンティアゴのカテドラルはこれまでに見てきた数々の世界遺産に劣らずすばらしいものに思えました。1時間くらい広場に座ってカテドラルや巡礼者を眺めながら、やればできるものだな、とつぶやいていました。言葉に表せないのが歯がゆいですが、この瞬間は間違いなく最高でした。

 記念撮影をして観光案内所を探します。巡礼事務所もあり、スタンプがもらえないかなと立ち寄ってみましたが、巡礼証明書の発行待ちでごった返しています。そこまでしてスタンプが欲しいわけではないので、市内を散歩することにします。

 どうしたわけか、市内を散歩しても「ふーん」という感じであまり面白くありません。駐車場がある手ごろな宿もないので、喜びの丘にあるYHに宿をとることにします。YHに行って巡礼者割引ができないか試しに聞いてみると、フロントの姉さんがおやという顔をして、どこで手に入れたのか聞いてきます。SJPPの巡礼事務所でもらったんだけど、まずいかな。
「ちょっと問題だね。徒歩か自転車、馬での巡礼者のみが手にできるんだよ。あなたは巡礼者(ピルグリム)とはいえないよ。」

 薄々気づいてはいましたが、巡礼終点地でこうもばっさりやられるとは! はっきりと「違う」といわれたこともさることながら、馬ならOKという事実がショッキングでした。そのようなやんごとなき方がいるのだろうか。

 “コンポステーラ”は「星の降る丘」という意味だそうです。この丘の上からならさぞかし綺麗なんだろうな、と思っていましたが夕刻からは曇りなのでした。カテドラルに到着した瞬間は最高の気分でしたが、それ以降はどうもいろいろと脱力感に襲われています。

2011/10/05

サンティアゴ東方60Km

■山越えルート
 宿を8時に出発してサンティアゴに向かいます。サンティアゴまで約200Kmなので、通常通りの走りで夕方には到着してしまいます。せっかくなので巡礼者の気分をもう少し味わってうためにゆっくり走ることにします。
 昨日の宿はちょうど山越え前の地点だったらしく、出発早々に上り坂が続きます。標高1,300mの峠を越して下り坂になりますが、その後1,100mまでまた上ることになります。歩きだったらピレネーがかわいく思えるかもしれません。山また山を越えて、川を渡り、谷あいに佇む教会の脇を走ります。巡礼者用に用意された水場でお茶をいれて休憩をとり、ほっと一息。この道を歩きとおす巡礼者たちは本当に見上げたものです。

日本でもおなじみのチュロスはチョコレートドリンクとセットが基本らしい。ディップして食すのが正当だとか。

しぶいホタテのマークは巡礼案内所。








■フライドポテト
 手ごろなレストランで昼食です。短いパスタが入ったスープと、メインは食感がタラによく似た魚の煮付けです。付け合せはゆでたポテトです。とうとうフライドポテトに出会わずにすみました。全体的にあっさりめの味付けで、いなければいないで少々ものたりなく感じるのもフライドポテトのニクいところです。


■イレギュラー?
 宿を探しながら走るうちにコンポステラまで60kmのところに到着しました。約150Kmほど走ったので、徒歩なら5日はかかる距離です。情報局で宿を紹介してもらいチェックインします。受付にバイクをどこに置いたものかと相談すると、巡礼者手帳を何度か見直して驚いたような顔をしています。「本当は徒歩か自転車の巡礼者用の宿なんだけど…」と釈然としない様子です。もしかして、本来ならばバイクや車で巡礼者手帳を入手することは不可能なのでは!? とはいえ、SJPPの人が作ってくれたので胸を張って利用することにします。

 宿のラウンジで日記を書いていると、巡礼者たちが集まって酒盛りを始めました。お祭り騒ぎのようににぎやかで、こちらにもワインを手渡してきます。せっかくなので相伴にあずかります。昨日の山越え前では巡礼者は穏やかで早々に寝ていたので山越え後でだいぶ顔つきが変わっているように感じます。「サンティアゴまであと2日の距離になったんだ、クリスマス2日前のようにみんなハッピーなのさ」 隣にいたドイツ人が解説してくれます。

 明日はとうとう目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着です。どんな感動が待っているのだろう! 酒が入ったこともあってなかなか寝付けないのでした。

2011/10/04

レオン西方40Km

■開かずのツーリストインフォ
 他の宿泊客のいびきやら不気味に咳き込む音やらで何回か起こされます。これぞドミの醍醐味ですね。朝7時ころに他の皆さんはごそごそと活動を始まるので、こちらものそのそと準備にかかります。朝食を済ませて皆より遅めの8時前に出発開始です。8時とはいえ、まだ日が昇っていません。走り始めて15分ほどでミラーに日の出が見えてきました。せっかくだし寒いので写真撮影をして遊びます。30分ほど楽しんで走行再開。いくつか巡礼拠点=スタンプポイントを通りますが、スタンプがおいてある巡礼情報局はまだオープンしていません。飲食店を除くと、10時オープンが暗黙のルールのようです。

 ふてくされながら走って11時半ころにレオンに到着。ここはカテドラルが有名だそうです。旧市街の入り口付近は観光客向けの露天が立ち並んでいます。アラブスカーフなどの布類やお香などイスラムを連想させる品々があります。チーズやケーキ、スペインならではのチュロスとチョコレートドリンクも目立ちます。見上げるとさまざまな紋章が書かれた垂れ幕があちこちにかかっています。片足立ち獅子のレオン紋章、細い十字のサンティアゴ騎士団紋章、なぜかドイツ騎士修道会やフランス王室のユリをあしらったものも見かけます。露天地区を通り抜けてツーリストインフォを目指します。時間は12時過ぎだったのですが、閉まっていました。うーん、いつ開いているというのだ。スタンプ集めも楽ではありません。


■あきらめた
 一通り見学して次の街を目指します。レオンから西方30Kmほどの巡礼路上にアストルガというガウディの建築物が残る街を目指します。14時半ころに到着して適当なレストランで昼食をとることにします。庶民的レストランはまずバルスペースがあり、その奥にレストランスペースで区切られているのがスペイン流のらしい。Menu del dia(本日の定食)と告げるとお品書きを持ってきます。他の客が焼き魚らしきものを食べていますが、そこにもちゃんとポテトがいました。肉でダメなら魚で回避…というのは幻想でした。ここはあきらめて牛肉ステーキの胡椒ソースにします。一品目は海鮮スープで、タピオカみたいなものが入っています。お代わりもできて満足です。
写真=アストルガのカテドラル

■アルベルタ
 食後に街中を散策します。ゆっくり食事をしたにもかかわらず、ツーリストインフォは午後休みでまだ閉まっています。日本で働いていたときはシエスタうらやましいなぁと思っていましたが、客の立場になったらこれほど不便な習慣はありません。彼らからすると、日本の習慣がせっかちすぎる、ということなのでしょうか。そんなわけで格安巡礼宿を紹介してもらう目論見はついえてしまったので次の地点を目指します。メインの街道を捨てて巡礼者の道の近くを走る細い道を西へ向かいます。20Kmほど走って宿場町が出てきます。表の看板には5ユーロの文字が! 迷わずここに泊まることにします。昨日は現役の教会を利用した宿でしたが、今日の宿は個人経営のものです。巡礼路にはこのような宿(アルベルタ)が点在しています。これまで見てきたところでの最安値は2ユーロのものでした。元が取れるのか不思議でなりません。
写真=とってもアットホーム

2011/10/03

レオン東方100Km

■もったいない!
 昨日とは打って変わって朝は冷え込み、朝9時ころまでは気温10℃を下回るくらいでした。空気が乾燥しているせいか、日向と日陰では体感温度がだいぶ異なってきます。山間部を走りぬけ、巡礼路に程近いN12でブルゴスを目指します。中世に建てられた教会や、ローマ時代から残る建築物、スタンプ収集のために寄り道しながら昼過ぎにブルゴスに到着します。ブルゴスは迂回してレオンへ向かいます。後で知りましたが、ブルゴスはなかなか観光スポットがあったようでもったいないことをしました。ブルゴスからはN120に乗り換えてレオンを目指します。N120は若干巡礼路から離れるルートですが、それでも古い教会や城がある小さな街が迎えてくれます。
写真=ホタテが食べたい

■フライドポテト回避ならず
 スペインでは14時過ぎから昼食が始まるらしく、時間を見計らって道路沿いのレストランにて昼食です。スペイン語はまったく勉強していなかったので、ひとまず本日の定食を注文します。が、定食といっても前菜、メイン、デザートをそれぞれ5種類くらいの中から選べる方式になっており、スペイン語メニューを差し出されて逃げ道を失いました。FriteやPotetoなどフライドポテトを連想させる文字を排除しながら適当に注文。前菜は日本でもおなじみのツナサラダです。ドレッシングらしきものがかかっていますが、オリーブオイルか酢を好みでふりかけていただくのがスペイン式だそうです。ためしにオリーブオイルをかけてみますが、なかなか良いものです。続くメインは子牛のタン煮にフライドポテト添えです。くー、こやつらと出会わない方法はないものか! ポテト回避の方法を見つけねばなるまい。決意を固めながら牛タンをほおばるのでした。食後のプリンとエスプレッソをいただいて10ユーロならばなかなかお得なランチといえるのではないでしょうか。
写真=タンは焼いたほうがいいと思う

■巡礼宿
 食事を済ませて巡礼者手帳に書かれた街carrion de los condesを目指します。到着してスタンプがおいてありそうな教会に行くと、ここは宿泊施設を兼ねているということでした。12人ドミでなんと5ユーロです。ちなみに個室なら21ユーロです。いいところ見つけたなとほくほくして転がり込みます。足のマメを気にしている徒歩巡礼者や、Tシャツを洗っているチャリ巡礼者などが集まっています。彼らに比べるとバイクは楽しているように感じられて勝手に肩身が狭くなるのでした。夜は静かで巡礼宿もいいものです。
写真=朝6時から鐘を鳴らしまくる教会

2011/10/02

エスティーリャ

■引きこもる
 値段の安さにつられて連泊することにします。天気もよく、洗濯日和なのでここぞとばかり洗濯物を片付けます。洗濯機を回している間にskypeやら日記の更新やらをして過ごします。

■初バル
 14時ころバルにて食事。前菜一品にメインのプレートで8ユーロ也。前菜はほうれん草の茎みたいなところとポテトを煮込んだものでとってもマイルドな味わいです。久しぶりにまともな野菜料理を食べたような気がします。メインのプレートは豚のソテーにフライドポテトを添えたものです。ポーランドから西はプレートにはフライドポテトが添えられることが多い、というよりほとんどです。そろそろポテトにも飽きてきました。

2011/10/01

ピレネー山脈

■コンポステラへの道
 キャンプ場を出発して、サン・ジャン・ピエー・ド・ポー(以下SJPP)へ向かいます。遠くにピレネー山脈がそびえ、なだらかな丘の合間を走ります。バックパックを背負って杖を突きながら歩く人や、ロードバイクを駆る人たちを横目に見やりながらしばらく走ると、ホタテ貝をモチーフにしたコンポステラのシンボルを発見! ボルドーからここまでも巡礼路のようでしたが、このマークを目にすると実感がわいてきます。

 SJPPはフランス側の巡礼路が集結する、ピレネー越えの拠点のだそうです。このほかのルートもあるようですが、それはまたの機会に譲ることにしましょう。出発から40Kmほどで丘の中腹に建設された街が見えてきます。SJPPに到着です。欧州に入ってから平地を走ってきたせいか、斜面に沿ってできた街並みは新鮮に感じられます。

 その昔はピレネー山脈に向かって開かれた「スペイン門」をくぐって山越えが始まったようです。ちなみに、フランスのパリからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの巡礼路は世界遺産に登録されています。道それ自体が世界遺産になっているのは珍しく、あとは日本の紀伊山地の参詣地くらいだそうです。



■旅人から巡礼者へ
 まずは巡礼路の情報を集めるために観光情報局を訪ねると、スタッフのみなさんが暖かく迎えてくれます。ピレネー越えのルートには徒歩ルートと車道があり、徒歩ルートは車はもちろんのことバイクも入ることはできないらしい(走るなんてとんでもない、というハードなルートだったようです)。バイクで日本から来たことを知ると質問攻めと写真撮影が始まり、「彼女はワシントンポストの人だ」と記者と思しき人を連れてくるなどいたく珍しがられたのでした。

 コンポステラまでのルートを聞くと、巡礼者手帳をくれました。キリスト教徒じゃなくても巡礼者になれるものなのですね。この手帳はスタンプ帳を兼ねているようで、「第一歩だ」といってSJPPのスタンプをどすんと押してくれます。お、なんだか道の駅スタンプラリーみたいだぞ。ジップロックをつけてくれる気遣いがとてもうれしい。SJPPでは中世スタイルの杖や帽子など巡礼者グッズのほか、最新のアウトドアグッズが売られていて売店をのぞいているだけでもなかなか楽しいものです。思う存分冷やかした後にピレネー越えに出発です。

■ピレネー越え
SJPPからスペイン側の拠点・パンプローナまでは約60Kmの道のりです。道の状態はかなり良く、バイクや自転車がかなり攻める走りをしていました。標高約1,050mの峠でも気温は15℃くらいと比較的暖かく、雪を気にしていたのが馬鹿らしくなるほどでした。山越え中とはいえ、10Kmおきに小さな村が点在しています。バーやレストラン、スーパーまであるので徒歩巡礼にはうれしいことでしょう。峠道を終えてパンプローナに近づくにつれて岩肌が目立つようになりました。フランス側は緑が多く、道も森の中を走っているかのようでした。さらにスペイン側は日差しがきつく、山脈を越えるだけでこれだけ違うものなのかと驚きます。

 パンプローナをパスして巡礼路を追うことにします。ホタテマークが指し示す方向を行くと、道の脇にぽつんと教会が建っています。寄ってみると、教会の門は閉まっていますが、その脇にある小屋(といっても石造りの立派なもの)の前にスタンプ台が置かれています。小屋の中は徒歩巡礼者のための休憩室を兼ねた情報所になっていました。さっと見学して走り出すと、道は小さな街の中に吸い込まれていきます。道を追っていくと、ツーリストインフォメーションを発見しますが、時は16時で書き入れ時のはずなのに閉まっていました。これがかの有名なシエスタか…!

■巡礼者手帳の効力
 こちらもそろそろ宿を探さないといけないので次の街に向かいます。寄り道しながら1時間ほど走り、エスティーリャに到着します。ツーリストインフォメーションでフリーマップをもらって、YHの場所を確認すると「あんたピグリムかい?」と聞かれます。ピクミンは架空の生物、ピオリムは素早さ向上だ。詳しく聞いてみると巡礼者のことをピグリムといい、巡礼者手帳を提示すれば特別料金でYHを利用できるらしい。YHに行ってみると、やはりピグリムか聞かれます。手帳を差し出すと1泊9ユーロ*と破格の値段になるのでした。巡礼者手帳をくれたSJPPのスタッフに感謝! 4人部屋をひとりで占有してゆっくり過ごすのでした。

*ピグリム価格にシーツ代は含まれていないので寝袋必須です。なぜか枕カバーだけはもらえます。

2011/09/15

リューベック

 ハンザ同盟の本部がおかれ、海運都市として繁栄を極めたというリューベックに到着。旧市街は運河に囲まれてちょっとした城砦のように見えます。この日は朝から海から吹いてくる強風と時々降ってくる雨に悩まされました。ロンプラにも歩き方にもリューベックの地図は掲載がないのでまずは観光情報局でフリーマップを入手します。旧市街内のホステルを紹介してもらいますが、駐車場がないので他をあたります。日本でもおなじみのユースホステルはドイツが発祥の地です。というわけでドイツのユースホステルがここリューベックにもありましたのでそこに宿をとることにしました。

 荷物を降ろして旧市街内部を観光します。ぐるっと一回りして安いカフェで簡単に食事を済ませます。ソーセージとポテトのセットで、ビールのお供にちょうどよい組み合わせですね。ホステルに戻るとドイツ人のお子様ご一行であふれていました。ユースの名に恥じない客層で、にぎやかな夜を過ごすのでした。

2011/09/14

ドイツ入国

 湖畔のペンションを出発して西へ向かいます。シュテッチンを通過して西へ行くこと10Kmほどでドイツ国境に到着です。到着といっても荷物検査も何もないただの道路です。ここを越えるとヨーロッパ中心部に突入します。物価が高いんだろうなぁ…。余ったポーランド通過を使い切るために食料や消耗品を買い込みます。ドイツ側に入国するとガソリンの単価が150円くらいになりました。ロシアでは65円、バルト三国およびポーランドでは130円くらいでした。

 ドイツでも大都市は避けて比較的小さな街を経由することにします。最初の目的地は北部のバルト海に程近いリューベック。ドイツが誇るアウトバーンは走ってみたいものですが、120Km/hは当たり前ということなので田舎道を北上します。田舎道といっても制限速度は90Km/hなのでどしどし追い越しをかけられます。しかもドイツは自転車道の整備が進んでおり、車道の幅を狭くしてでも自転車通路を確保しています。チャリダーには理想の環境といえそうですが、道が狭くなったぶん追越されるときは結構怖いものです。

 北上して100kmほど走ったところからホテルを探し始めます。これまでの国では宿泊施設があるところにはたいてい道路標識がでているものでしたが、ドイツではホテルの道路標識あまり見当たりません。そのくせスーパーごときが道路標識に名を連ねているのは不思議です。ドイツではカフェつき宿はガストホーフというそうですが、それも見当たりません。さらに80kmほど走って道沿いにHOTELの文字が見えました。小奇麗なホテルで朝食付きでwifi使用可能、シングルで48ユーロです。少々高くつきますが初日はここで一泊して今後の対策を考えるのでした。

2011/09/13

湖畔のペンション、再び

 破格の宿代に後ろ髪を引かれながらもグダンスクを出発します。目指すはドイツ国境に程近い、重要港を擁する海運都市シュテッチン。シュテッチンまでは6号線でまっすぐいけますが、走って面白い道ではなさそうでしたので県道クラスの道を乗り継いでいくことにしました。ポーランドは道の程度もよく、標識がとても親切なのでこのような余裕ができます。

 ガソリンスタンド併設のバールにて昼食を済ませて、走り出す。走って食べて、また走るというリズムがとっても懐かしいです。田舎道を60Km/h程度でゆっくり走っていたら燃費が35Km/Lとこの旅で最高値をたたき出しました。さすが250cc。

 今日は走るだけ走ってシュテッチンまで40Kmまで近づきました。地図を見ると大小さまざまな湖があるようでした。以前のペンション宿泊が楽しかったのでペンションを探してみます。ひとまず湖ちかくに行ってみると、「宿あり」の看板が見えてきます。本当にポーランドは親切設計です。立ち寄ってみると湖に面しています、というだけで無個性なホテルでした。55PLとさほど高くもないのでここに宿をとることにします。湖に向かってルアーを投げてみましたが反応はありません。夕日鑑賞に切り替えてこの日は静かに幕を下ろすのでした。

2011/09/12

グダンスク観光

 ディスカウントの誘惑に負けて連泊することにしました。1泊目は40PL(≒1,000円、朝食込み)でしたが、2日目は30PL(=750円)になりました。「3泊目は15PL(≒370円)だよ。どうする~?」スタッフの姉さんがすごい誘惑をしてきます。こいつは悩むぞ。

2011/09/11

グダンスク

■早朝の散歩
 ホステルの朝食は8時からだったので、朝6時に起きてトルンの市街地を散策します。観光客で賑わっていた前日の夕刻とは打って変わって静かな街並みを楽しめます。オールをしていたのか酔っ払った地元の人がふらついているかと思えば、おじさんおばさんが犬の散歩をしながら談笑している姿を見かけます。きっと治安がいいのでしょう。トルンは一泊だけと決めていたので、朝食を済ませると出発します。

■マルボルク城
 ドイツ騎士修道会が建設した城の中でも無類の美しさを誇ると名高いマルボルク城。トルンからE75号線で80Kmほど北上し、22号線で東へ向かいます。22号線は国道のような主要道路のはずですが、アスファルトではなく石畳の道でした。情緒があっていいのですが、振動で走りにくいです。50Km/h制限がかかっていますがお構いなしに90Km/hくらいで走り去っていきます。

 マルボルク城に関しては「一度は見るべし!」くらいの前情報しか仕入れておらず、遠目から城が見えてきたときはその大きさにびっくり。しっかり見学すると4時間かかるといわれてなお驚きます。城壁は2重で、それぞれ4階建てくらいの高さがあります。内部は入り組んでいて、城の大きさもあいまって自分がどこにいるのかわからなくなるほどです。各部屋は異なる通路とつながっており、常に逃げ道が用意されているような印象を受けました。身内でも信用できないような組織だったのでしょうか…? 教会や物見櫓などもあって見ごたえ充分です。中世好き、城好きにはたまらない場所でしょう。

■グダンスク
 城をたっぷり見学してバルト海沿岸の港町・グダンスクを目指します。ヒルトンの隣に堂々と看板を掲げていたホステルには駐車場があったので今夜の宿はここに決定。1泊の予定でチェックインして荷解きをしていると、ホンダのシャドウに乗ったおっさんが話しかけてくる。とってもにこやかな人で、旅の話やバイクの話で雑談をする。

「この宿に何泊するんだい? なに、未定とな。よし、連泊するならディスカウントしちゃうぞ」 彼はホステルのオーナーだったようです。グダンスクはまあまあ大きそうな都市だし連泊しちゃおうか心が揺れました。単純ですね。

2011/09/10

トルン

■外気1℃
 朝6時ころに起きて外に出てみるとかなり冷え込んでいました。気温計は1℃でしたので、明け方前後には氷点下になっていたのかもしれません。こんなに寒いのではキャンプは厳しいことでしょう。キャンプ文化が発達しているという西ヨーロッパでではキャンプ三昧を期待していたのですが考え直さなければいけないようです。

■寄り道
 トルンへ行く途中に大きな塔と時計台が見えたので立ち寄ってみます。ブロドニツァという手のひらに十字を描いた変わった紋章を持つ街です。街の側面を小さな川が流れています。川のほとりに街を築くのは定石なのでしょうか。規模は小さくて1時間ほどで旧市街を一回りできるようなところですが、きちんと観光情報局があるのは大変助かります。






■トルン到着
 ドイツ騎士修道会の居城があるトルンに到着です。幅100mはありそうなヴィスワ川のほとりにあり、高台に建設されています。しかも城壁は3重にめぐらされているという堅牢なつくりです。重機もない時代によくこんな代物をつくったものです。

 ひとまず宿を確保するべく観光情報局を目指します。無料地図をもらって中庭つきのホステルを目指します。ロゴが某チョコクロワッサンのカフェに似ているような。朝食付きで一泊30PL(750円)と抜群のコストパフォーマンスでご満悦です。バイクの整備と街の散策をしてこの日はおしまいです。トルンは1泊だけして次の都市に向かいます。

2011/09/09

トルン東方100Km

■ポーランド北部ルート
 朝起きてみると今にも雨が降りそうな空模様でした。日本の10月初旬くらいの装備で走行していますが、そろそろ本格的な冬装備の出番かもしれません。寒さが思いのほか厳しいので中央ヨーロッパの気温、なによりもピレネー越えが心配になってきます。

 バルト三国で充分観光をしたのでポーランドでは小さな街をめぐることにします。今後はトルンをハイライトとしたポーランド北部ルートをとることにします。国境からワルシャワに続く8号線を捨てて西方に伸びる16号線に乗り換えます。交通量は少なく、マイペースでゆっくり走れる都合のいい道です。路面の状況はおおむね良いです。日本の3桁国道に近いものを感じます。

■湖畔のペンション
 北部ルートは林の中と湖沼地帯を駆け抜ける快走路です。時々雨に降られることがなければ最高だったでしょう。16時ころにペンション群が出現しました。このあたりは湖が点在する観光スポットのようです。道から離れた静かな宿を探して見つけたのが今回泊まった小さなペンションでした。部屋の目の前には野球場くらいの湖(池?)が広がっています。10cmくらいの小魚がいるので試しにルアーを投げてみますが、反応なし。どんな魚種がいるか皆目分からないので対策をたてることもできません。1時間ほどのんびりとした時間を過ごします。

 朝食を夕時に出してくれ!といってみたらOKとのこと。本当に朝食メニューが出てきましたが、チーズ入りチキンカツみたいなのがおいしかった。朝だったらこれはヘヴィだと思う。食事には近所のノラ猫たちが同伴してくれますのでひとりでも寂しくありません。

2011/09/08

ポーランド入国

 ヴィリニュスを出発してポーランド方面へ向かいます。途中湖上にそびえる城砦を見学し、リトアニア最後の昼食を済ませます。リトアニア料理が食べ足りない気がして名残惜しいです。

 ヴィリニュスから170Kmほど走ってポーランド国境を越えます。越境したのは18時ころでしたが、雨が降り始めてきたので道路沿いのカフェ併設の宿に泊まることにします。この類の宿はロシア以来で懐かしくなります。1件目にあたったところでは英語が通じず、おまけにクレジットカードが使用できないというではありませんか。ロシアに似たようなサービス、これもまた懐かしいものです。2件目でも英語が通じませんが、カードは使用できる上に値段もお手ごろだったのでここに決めました。

 Wifiが使用できるということでしたが、アクセスしてすぐに通信が切れてしまいました。調べてみるとPC側に問題があるようだ。以前にも同じ症状が出て、そのときにはOSの再インストールでなんとか直ったというものでした。リカバリディスクは持ってきていないので困ったことになりました。どこかでUSBの無線LANアダプタでも調達しなければなりません。

2011/09/06

ヴィリニュス

 朝起きてみると外は寒く、空は厚い雲に覆われているのでした。朝食を済ませている間に雨が降り始め、出発して5分もたたないうちに大雨に変わったのでした。ヴィリニュスへは東に行けばよいのですが、いつの間にか南下してしまい40Kmほど遠回りすることになったのでした。道中も雨は止まずに、ますます勢いを強めるばかりです。幸運なことに遠回りとなった道は交通量がほとんどない道だったので国道クラスの道を走るよりはずっと安全でした。

 途中のGSで昼食をとってヴィリニュス市内に突入します。ホステルゲートという中庭つきのホステルに宿を取ります。宿に到着するまでの150Kmはずっと雨でしたが、グローブが浸水するくらいで他はまったく濡れないくらいの防水装備は機能しています。雨に強いレイングローブがほしいところです。ヴィリニュスは以前から来たかった場所なので連泊して市内観光をすることにします。

2011/09/05

リトアニア入国

■カウナス

 リーガから3時間ほどでリトアニアの国境に到着します。シェンゲン圏は越境という概念すらなくなるくらい気軽に出入国が可能です。リトアニアの首都・ヴィリニュスへ向かう予定でしたが、途中で気が変わって第二の都市であるカウナスへ向かうことにしました。

 リーガからカウナスまでは約240Kmほどの道のりです。カウナスには教会を利用した安価なゲストハウスがあるらしく、どうしても泊まってみたくなったのでした。このゲストハウスは旧市街のど真ん中という好立地のせいか大変人気のようです。シングルルーム(50Lat≒1500円)は5週間先まで予約で一杯だということです。仕方なくトリプルルームを独り占めするという暴挙にでたのでした。教会を利用するくらいだからどんな内装なんだろうとわくわくしたのですが、小奇麗なホテルの一室という観で特段感動するようなものではありません。ですが、窓からは二つの教会を眺めることができるすばらしい場所です。

 夜になると目の前の広場に人が集まり始めました。スクリーンでバスケットボールの中継を流しています。そういえばユーロバスケ2011というポスターをあちこちで見かけたような気がします。23時ころにひときわ歓声が大きくなり、教会の鐘が鳴ると皆さん帰り始めるのでした。

2011/09/03

リーガ

■ラトビア入国
 ラトビアの首都であるリーガは、中世ではバルト海沿岸部におけるカトリック布教の足がかりとして早くから重要な役割を果たしたそうです。いまではバルト三国で最も規模の大きな街として栄えているそうです。

 タルトから南西に80Kmほど走るとラトビアに突入です。エストニアはユーロを導入していますが、ラトビアは独自通貨を守っています。道路の状態が日本の高速道路なみに整っていたエストニアですが、ラトビアに入ると道路の状態が悪くなります。日本で例えるならば、手入れを怠っている県道レベルですのでダートがあるような悪路ではありません。西側のロシアもそんな感じでした。

 エストニアやラトビアでは、道路沿いで休憩をしていても話しかけてくる人はあまりいません。声をかけられたと思えば「シガー(たばこくれ)」というものばかりです。ロシアではちょっと停まっているだけでも「あっこーだいぇりしゅ?(どこへ行くんだ?)」声をかけられたものでした。

■ラトビア料理
 そういえばエストニアでは道路沿いのカフェについぞ入ることなく終わってしまいました。ロシアで道路沿いカフェの魅力に取り付かれたと思っていましたが、なんと軽率なことをしてしまったことでしょう。反省して今日の昼食はA3道路にあったカフェに入ってみます。

 ひとまずサラダと名物らしいスープを注文します。サラダはひも状のチーズのようなものが入ったマヨネーズ系のものです。スープはビーフシチューをトマトソースで仕上げたようなジャガイモいりのもの。どちらもくせのないニュートラルな味わいで満足です。パンとコーヒーをつけて2.2Lts(約340円)と思ったよりも安めでした。ラトビア料理とは相性がよさそうなので今後が楽しみです。

■リーガに到着
 天候は相変わらず気まぐれで、強い日差しとざっと降る雨が交互にやってきます。16時ころリーガに到着し、ホステルにチェックインです。チェーンの清掃と注油、張り調整などメンテナンスをします。トレーラー事件以降もがんばっているサイドボックスキャリアを見てみると、以前に比べてぐらつきが出てきたような気がします。早いところ溶接しなおしたほうがいいのかもしれません。

 スーパーに行ってみると、無性にパスタが食べたくなりました。時間もあることですし、久しぶりにまともな(?)料理を作ることにします。

・にんにく
・パスタ
・ホールトマト缶

 いつものアラビアータです。時間があることをいいことに15分くらいゆっくりにんにくをいためます。うーん、いい香り…あ、これってかなりの迷惑なのでは? やめるわけにもいかないのでそのまま作り続けます。視線を感じて振り向くと、頭をもっさりさせたおばさんが見ています。「うん、××××(何といったか聞き取れない)ね。私はイタリア人なのよ」と鍋を覗きながらうなずいていました。怒られなくてよかった。

2011/09/02

タルト

■走り足りない!
 タリンを出発して南東170Kmに位置するタルトに向かいます。タルトはエストニア人のアイデンティティのよりどころとなるような場所とのことです。タルトの郷土博物館では「タリンの連中では分からないものがある」と言い放つくらい誇りを感じる場所のようです。

 このごろは2泊した後にバイクに乗るととっても久しぶりに感じられて、走るだけでも楽しくなってきます。3~5日は走りっぱなしだったシベリアの道のりが懐かしく感じられます。観光も楽しいですが、ちょっと物足りなくなってきた感じがします。タルトには一泊して次の場所に向かうことにしましょう。

2011/08/31

タリン

 体調も回復してきたので旅を続けます。エストニアの首都・タリンへ向かいます。ヴスからは80Km程度なので昼ごろには到着してしまいます。城壁を含む古い建築物が残る旧市街地は、歴史地区として世界遺産に登録されています。旧市街に入る道は石畳になっています。道はくねくね曲がっていていかにも城塞都市という趣があります。


 エストニアはロシアはもちろん日本よりも路上駐車にうるさそうです。駐車禁止マークの下に必ずレッカー移動しますよ、と脅しが効いた標識があります。おかげで道路が広く感じて走りやすいのですが、一時駐車して宿を探す際は気が気でなりません。旧市街地内部にあり、駐車場があるホステルを発見。おまけに屋根つきなので降ったり止んだりの雨にも影響を受けなくてすみます。


 バイクの整備をして部屋に荷物をおいて、といつもの作業を終えても14時とまだまだ観光する時間はありましたが、部屋でちょっと横になったらいつの間にか19時になっていました。やはりまだ万全じゃあないようです。今日はさっさと寝よう…と思ったら同じホステルにいたイギリス人グループと一杯飲むことになりました。まとめて払ってもらったのはいいんだけど、代金を渡そうとすると受け取ってくれません。同じ旅行者なのにおごってもらうとはかたじけない。

2011/08/30

ヴス

 目を覚ましてみると顔がちょっとほてっているようでした。うーん、どうやら風邪をひいたようです。サンクトでの寝不足や、国境前のモーテルで蚊の猛攻をうけてよく眠れなかったのが原因でしょう。ここは無理せずに連泊して今日はゆっくり休むことにしましょう。

 もう一泊しようと15ユーロを払おうとすると、5ユーロをキャッシュバックされました。15ユーロは一泊の料金で連泊するなら13ユーロでいいんだよ、とのことでした。これまたうれしい誤算です。海に散歩したりスーパーで買い物したりでのんびり過ごすのでした。午後からは雨が降り出したかと思えば30分後には晴れ間が広がるなどを3時間ごとに繰り返すという忙しい空模様でした。季節柄なのかな。

2011/08/29

エストニアに入国

■越境
 とうとうロシアともお別れです。朝からボルシチとブリュヌイを食べ、後ろ髪を引かれながらも国境へ向かいます。出国手続きは面倒なんだろうな、と思ったら以外にもすんなりいきました。エストニア側の入国手続きはパスポートチェックだけで通ることができます。ルーペを持ち出したり光を当てたり念入りにパスポートのチェックを受けます。日本国籍の陸路入国は珍しいのでしょうか。または日本パスポートの偽造が多かったりして。10分ほどしてOKをもらいます。ついにEU圏内に到着です。エストニア側では英語がほとんど通じます。これはうれしいぞ。


■ラヘマー国立公園
 手続きも終わったのでエストニア国境の街・ナルヴァを越えてラヘマー国立公園に向かいます。エストニアの首都・タリンから50Kmほど西に位置する自然が豊かで希少な生態系が残っている場所だそうです。その中のヴスという街に安宿があるようなのでそこを目指します。エストニアに入って雨が降り出し、おまけに気温もぐっと下がって15℃くらいで夏装備では寒いです。3時間ほど走って到着。

 ここヴスは「地球の歩き方」にて国立公園内にある街の中で規模が一番大きいと書かれていましたが、季節はずれの避暑地のような閑静な場所です。それでもホステルが3件ほどあり、カフェやスーパー、郵便局が営業しているので静かに過ごすには申し分ない環境です。19時ころ到着して林の中にあるホステルに宿泊します。一泊15ユーロ*なのでさほど高くはありませんが、エストニアの相場からいえば安いわけでもないようです。近くを流れる川のせせらぎに癒される快適なロケーションです。しかもwifiが使用できるというすばらしさです。ロシアではこんな片田舎でwifiが使えるところは珍しかったのでこれはうれしい誤算でした。

 到着したころは晴天だったのが23時ころになると雨が降り出してきました。海が近いせいか、天候が変わりやすいようです。せっかく海岸まで徒歩5分の好立地ですが散策はあきらめて寝ることにしました。

*連泊すれば13ユーロになりました。個室でこの値段はいいね!

2011/08/28

さよならロシア

■鍵が見つかる
 朝5時になってシャワーを浴びることにしました。ジャージにも履き替えずに日中の服装のままでした。ベルトを外すと“ジャラッ”と聞きなれた音がします。あ、鍵があった。バイクから降りると、鍵束はカラビナに通してパンツのベルトループにひっかけていました。それが何かの拍子でパンツの内側に入り込んでいたようです。メガネをあまたに乗っけたまま足元を探すかのような間抜け具合です。

■再会
 スーズダリで会ったユカさんととやま~んさんもサンクトにいるとのことで、カフェにてご一緒することになりました。今日は出発の日で13時には出発したいところでしたので、ちょっと早めにセッションしてもらいます。10時ころに広場に行くとすでに2人の姿があります。駄々こねながら遅れてすみません。

 さすが旅の達人、安くて雰囲気のいいお店をすでに押さえています。紹介してもらったのは、見て選べるタイプのカフェでした。このタイプのカフェは食べたいものに確実にありつけるのはもちろんのこと、未知の種類に挑戦できる素敵なところです。ロシアの味もあと数回しか味わうことができないでしょうから抜かりないように…あ、トムスクで食べたきりの甘いおかゆみたいなもの(Каша пенная с тыквой)があるではないですか! 見るからに甘そうなケーキ(スメタナタルト)も追加で!!
 
 鍵紛失騒動で落ち込んでいたところなので、話し相手がいて気分がとても楽になりました。トレーラー事件のときにも話し相手がいて助かった覚えがあります。この旅はつくづく人に助けられています。おふたりは今しばらくロシアを満喫し、バルト三国入りの後は南下するそうです。引き続きいい旅を!

■国境に到着
 恒例の都市部脱出です。いつの間にか有料道路に入ってしまうなど、いつものごとく右往左往してようやくエストニアのタリン行きとなるE20道の標識を見つけました。はじめはものすごく嫌っていた都市部への突入と脱出ですが、最近では楽しみのひとつに変わってきました。好みなんて意外とすんなり変わるものですね。

 当初の予定ではモスクワ方面に南下して西に向かうという40Kmほど遠回りしながらも分かりやすそうなルートを取る予定でした。それが偶然にも最短ルートのE20に乗れたので当初越境の基地と考えていた街は通過して国境の街に向かいます。宿が高そうと予想していましたが、予想通りでおもしろくありません。引き返して当初の予定通り国境から20Kmほど東に位置する街にて宿をとります。

 あまったルーブル処理のためスーパーで買い物をします。立ち寄ったカフェでボルシチを注文します。この味がこれから食べられないと思うと、とってもいとおしくなります。

2011/08/27

バイクの鍵を紛失する

■ブルーになる
 朝食をとって、さて出かけようと貴重品を確認すると大切なものがありません。あれ、バイクの鍵一式がないぞ。昨日の外出時には宿のセーフティボックスに入れていたので屋外でなくしたのではありません。宿に戻って、共同スペースの机にPCと鍵をいったん置いて、お茶を用意して…。流れを思い出してみると、お茶を用意するときにわずかの時間ながら机に放置していた気がします。他の客は見当たらなかったので気を緩めていたということもあります。念のためフロントに聞いてみると、特に落し物はないらしいです。

 1時間ほど、自分の荷物から部屋の隅々とゴミ箱をあさっても、見つかりません。眠気も観光気分も瞬時に吹き飛びました。スペアキーはあるのでバイクを動かすことはできますが、次になくしたらアウトですし、盗難だとすれば翌朝にはバイクが消えていることも考えられます。宿を移るべきか検討しましたが、そのうちひょっこり出てくるかもしれません。少々高いですが連泊することにしました。

■合鍵作成
 ひとまず合鍵を作っておかなければなりません。合鍵工房をフロントに聞いてみるとネットで調べて地図を印刷してくれました。宿から1Kmほど離れたところで、そこはバザール(アメ横と勝手にネーミング)になっていました、さあ、ここから見つけるのはなかなか骨が折れそうです。あちらこちらに警備員がいるので聞いてみると親切なことに案内してくれました。バザール入り口の隅っこに100人乗っても大丈夫そうな物置によく似た建物があり、ここで合鍵を作ってくれるそうです。たしかにロシア語で「鍵」と書いてありますが、こんなところ、初見で見つけられるものか!

 警備員が話をつけてくれ、すんなりオーダーすることができました。依頼内容はバイク本体用、サイドボックス用、ワイヤーロック用の3種類です。待つこと30分ほどで出来上がったようです。合鍵を作るのは初めてですが、こんなに早くできるものなのですね。料金は合わせて400ルーブル(1,200円)なので、日本の相場よりも若干高いくらいでしょうか。見比べてみますが、山の配置は正しいように見えます。合鍵ができたという安心感を覚えてやっと昼を食べていないことに気がつきます。スタンド式のファーストフード*で腹を満たします。

*トルコ発祥のケバブが大流行らしく、バザールのあちこちで肉の塊をくるくる回しています。ますますアメ横っぽいですね。本家と異なってこちらではキュウリとトマト、そぎ落とした肉を薄いパン生地でつつんでホットサンドにします。決定的に違うのはヨーグルトソース(スメタナ?)をかけることです。ヨーグルトソースをかける、これはトルコでは本家本元のブルサ以外では特別に注文しないとお目にかかることができません。イスタンブール以外ではヨーグルトソースを用意していない店のほうが多かったものです。

■合鍵が機能しない
 宿に戻って早速試してみると、不安的中で3種類とも回りません。ワイヤーロック用に至っては刺さりもしません。よーく観察してみると、合鍵のほうが気持ち大きいようです。戻って交渉します。若干手直ししてもらって宿に戻ってから試してみるとやはり回らない。バザール周辺は駐車禁止スペースで、歩いている最中に2台ほどレッカー移動されていました。近くまでバイクを持っていくこともできず、合鍵はまた別の機会につくることにしました。

 バザールの往復やら、盗難された可能性と今晩の対策を考えたりしているうちにすっかり17時を回ってしまいました。すっかり気が滅入ってしまい、観光をするところではありません。食事をとる気にもならず、今夜は寝ずにバイクを見張ることにします。

2011/08/26

サンクトペテルブルグ

■ニーナとお別れ
 家庭料理でもてなしてくれたニーナとも今日でさようならです。バター、チーズ、ハム、ソーセージ、ジャガイモとキノコの炒め物と目玉焼きなどなどテーブルいっぱいに朝食を用意してくれます。感激とともに遠慮なくいただきます。食後にハチミツ*とブレンドティー(セイロンとミント)をいただいていると、さらにチョコやらスティック状のお菓子やら果物やらすすめてくれます。さらにリンゴを袋いっぱいに持たせてくれて、その上わざわざジャガイモをゆでてこれも袋いっぱいに持たせてくれます。お菓子やジャムもつけてくれて申し訳なくなるほどです。別れ際にニーナはちょっと涙ぐんで送り出してくれました。言葉が通じないにもかかわらず、暖かくもてなしてくれたニーナに出会えたのは幸運でした。

*便宜上ハチミツといいましたがハチミツ特有の香りはあまりなく、代わりにミントの香りがほのかにするものです。ハチミツは苦手なのですが、これならいくらでも食べられます。ちなみに、ハチミツはお茶に溶かさずにそのままいただきます。ハチミツ、お茶と交互にいただくとあら不思議。ジャムも同様に食すのだそうな。

■ロシア最後の観光
 サンクトペテルブルグに到着。中心地に入るなり立派な建物群がお出迎えしてくれます。モスクワを含めてこれまでのロシアと雰囲気がちょっと違うぞ。ここにはいつもの通り2泊します。モスクワで宿泊したような中庭ありの宿が見つかったものの、1,600ルーブルとすこぶる高い。周辺を散策しますが同条件の宿や有人の駐車場はないようです。ケチってレッカー移動や盗難でもされたらえらいことですので思い切ってここに宿泊します。ひとまず1泊してネットで安めの宿を探すことにしました。モスクワのホステルがラッキーだっただけかもしれません。



■夕時がきれい
 サンクトは見所満載で、余すところなく見物するなら1週間は必要でしょう。初日はチェックインが16時ころだったのでニーナにいただいたゆでじゃがとリンゴ、洋ナシなどベジタリアン顔負けの夕食をとってから市内の散策に出かけます。
 市内には3本の川が流れており、あちらこちらに大小さまざまな橋がかかっています。観光客をのせた船が行き交い、夕日をうけて水面がきらきら輝いています。21時~22時ころの夕時はすばらしいです。夕時をテーマにしたポストカードが売られているのも納得です。22:30ころに宿に戻ります。翌日はショッキングなことがあったので、ほぼこれがサンクト観光なのでした。