■歴史の街
中世ヨーロッパの歴史を勉強するとたまーに出てくるノヴゴロド公の本拠地。出発以前から気になっていて、道中にちょっと勉強して*ますます訪れたくなった場所です。ここでは2泊したいのでなるべく安い宿を探します。ロシアは現地での観光情報が少ないですが、ここノヴゴロドは世界遺産に登録されたこともあってか観光情報局があって観光地図や宿の予約などを行ってくれます。
そこで安めのホテルを聞き出すも2件のホテルは空き室なしでした。ロンプラにホームステイ斡旋をしていると書いてあったので聞いてみると、700ルーブルで利用可とのこと。紹介してもらった先は豆腐を横に置いたような、飾り気のない古いマンションでした。入り方がわからず、15分ほど探してやっと目的の部屋にたどり着きます。
■家庭料理を味わう
出てきたのは落ち着いた感じのニーナという女性。キッチンを使わせてもらい、インスタントスープでも作ろうかと思ったら、それを制止して座りなさいという。するとキャベツのスープ、サラダ、ヨーグルトにパン山盛りがでてきました。まさかまた肉体労働させられるんじゃあるまいなと思いましたが、ちょうど昼時だったのでしょう彼女も食べ始めます。400mほど離れた彼女の別宅にバイクを置いて、そのまま街を散歩します。帰ってきて夕食の用意をしようとすると、やっぱり待てという。スープにサラダ、ジャガイモ料理に加えてブレンドティーと食後のデザートまでいただいて至れり尽くせり。
宿探しやらニーナの別宅にてりんご狩りやらで遅くなったので今日は市内をぶらっと散歩するだけでした。天気もすぐれないので本格的な観光は明日に回すこととしたのでした。
*山内 進『北の十字軍 「ヨーロッパ」の北方拡大』
15世紀までの現バルト三国とポーランドが舞台です。当時は非キリスト教(自然崇拝)地域だったこの地をめぐって、カトリック系のドイツ騎士修道会(チュートン騎士団)による武力を伴う布教活動――世俗的な利益を含む――が行われます。東方正教の中心地ノヴゴロド公国はカトリックよりも早い段階でこの地に布教活動を行っています。ノヴゴロド公国から見たら南東にスーズダリ公国、北からはスウェーデン、南西からはポーランドと問題を抱えるという状況です。さらに遠く極東からはモンゴルの脅威が迫ります。騎士修道会のようにローマの教皇を介して他の国から援軍(十字軍)を頼むこともできません。16世紀にモスクワ公国に追い抜かれますが、それまではロシアといえばノヴゴロド公国を指しているようです。日本でいえば奈良みたいなものでしょうか。モンゴルには100Km付近まで進軍されましたが、モンゴルは急に南下したため破壊から逃れることができたそうです。WW2で戦闘地域になったかはわかりませんが、雰囲気では影響はあまりなさそうです。
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